⑨ スルバラン工房の組織とその運営研究者:大阪大学大学院博士後期課程岡田裕成研究報告:今日の一般の認識において,スルバランは17世紀前半のセビーリャを代表する指導的画家であり,当時活発であった中南米てその作品は,この地域における美術史の展開にも決定的な影聾を与えたとされる。こうした当時のスペイン文化圏の美術館,教会等を中心に今日も極めて数多く残される,スルバランの画風との類縁性を示す作品は,広く「スルバラン風」とのカテゴリーのもとに分類されるとともに,しばしばより厳密な作者判断(スルバラン,工房,追随者といった)をめぐる議論の対象ともなった。とはいえ,こうしたいわば伝統的な認識は,セビーリャ派絵画に関する近年の研究の全体的な前進によって利用可能となった,多くの史料,知見と総合したとき,いくつかの根本的な疑問をいだかせる。第一に,果たしてスルバランは,現在考えられているほど圧倒的な影響力をもった画家であったのか,という点。「スルバラン風」という概念の中核を構成するいくつかの特徴,明暗の強いコントラスト,個性化された容貌の表現,とりわけ聖女シリーズ等にみられる装飾的な衣装の細密な描写などは,スルバランがその完成度において際立つにせよ,こうした傾向の以上地域での総合と展開は,必ずしもこの画家を起源とするものではない。スルバランの前世代の画家,ファン・デ・ロェーラスはすでにその徴候を十分に示しているし,近年に至るまでそのいくつかの作品があやまって「スルバラン派」に帰属されていたファン・デル・カスティーリョの活動開始はスルバランに先立つ。また一方,16世紀中葉以降,イタリア,北方絵画が継続的に輸入されていたイスパノ・アメリカにおいても,いわゆる「スルバラン風」の成立要件は独自に成立しており,そのなかで,ひとりの画家としてのスルバランが果たした役割は,むしろ限定される傾向にある。こうした理解のもと,より厳密な意味での「スルバラン派」を区別し,またそれを,広い意味での「スルバラン風」という傾向の展開のなかに適切に位置づけるためには,画風の形成と伝達がどのような枠組のもとにおこなわれたのかを明らかにする必要があろう。そのひとつの鍵となるのは,画家の職業活動(作品の制作と取引)の要となった工房の運営形態である。セビーリャ派画家の工房,とりわけスルバランのそれに関する今日の一般的な理解を代表するのは,フリアン・ガリェゴ,ジョナサン・プラウンによる言及である。こイスパノ・アメリカとの交易を通じ-106-
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