鹿島美術研究 年報第8号
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マエストロ16, 17世紀のセビーリャには,主として教会からの契約注文がある一方,不特定のの類比を意図したものだが—から絵画の構成を概念化したアルベルティらの人文主一般に,教会側からの絵画に対する要求は,「聖」と「俗」を厳密に区別し,世俗的要素を聖像,教会装飾から排除しようとするものである。とはいえ,具体的な視覚イメージに聖俗の絶対的な判定基準を立てることには,すでにみた視覚像のあいまいさという点で,つねに原理的な困難さがつきまとう。聖女像の華美な衣装ンはそのもっとも典型的な制作者である一一仕:,トリエント以降,多くの地方公会議での議論の対象とされ,多くの禁欲的な聖職者の厳しい批判の対象をともなったが,他方で,「天上の至福」と結びつけ「敬虔」に解釈もされた。ただここで重要なのは,こうした議論を通して,視覚イメージの批評の眼目が基本的に画ー化の方向に向けられた点である。多くの作品契約注文は画中人物の衣装,容貌に非常な関心を寄せ,その意識のあり方は,当時流布していた聖頌歌CancioneroSagradoのテクストとの興味深い類比もみせる。顧客からの無契約,無条件の需要―エ房店頭で販売されるか,ときに100点単位でイスパノ・アメリカに輸出された詳細な指示に基づく注文作品と特別の差を示していないという事実は,需要側の画一化された絵画批評基準のあり方から考慮せねばならない。また一方,16世紀以降,セビーリャの画家同業組合が実施していた<師〉の認定を得るための試験は,「素描」,「彩色」に通じるという一般的条件のもと,その具体的な判定の眼目として,1)男の裸像,2)衣服の作る懐と布の描写,3)顔の描写,4)よく仕上げられた髪の描写,にすぐれることを要求している。これは,面一人体各部一人物像一構図といった造形要素のヒエラルキー義的絵画観と興味深い対比をみせる。教会による多分に潜在的な操作は,描かれる聖なる対象の属性の解釈に関心を集中させるという方向に,絵画の認識,批判の概念を画ー化するとともに,その絵画観は,同業組合ー一沙辺:くともムリーリョによる素描アカデミー創立(1660)までの画家杜会唯一の組織度化されたのである。以上,現在進行途中にある本研究の基本的な構想を概観した。そのもっとも重要な論点は,教会を中心に推進された広い意味での杜会,文化統制が視覚イメージの形成にどのように関係していたのかを,両者のひとつの接点にあたる画家の職業運営のあも大最に存在した。それらの作品が,教会からのスルバラもとよりこれは文芸理論とという枠のなかで,いわば制109-

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