鹿島美術研究 年報第8号
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第2の銘文は,後頭部に蓋状にあてられた縦3材矧ぎの後補材のうちの中央の材に⑩ 南北朝時代以降における仏師と仏師組織に関する研究ー一京都を中心にして一一第1の銘文は縁者と思われる人の菩提を弔うむねを記した研究者:京都府教育庁指導部文化財保護課技師米屋研究報告:調査研究はまず,その基礎的段階として,諸先学の成果をはじめ,この間に報告された銘文の収集と整理から始めた。平安時代後期から鎌倉時代にかけての仏師の流派とその作風の関係については,ちょうどこの間,伊東史朗氏によって「院政期の仏像」展などを中心に画期的な分析がなされた。しかし,南北朝時代から室町時代と時代が下がるにつれて院派や円派も優勢な慶派の作風を取り入れるなど,京都における仏師の流派的な個性はだんだん薄れていく傾向にある。むしろこの時代は,奈良や鎌倉など京都を離れた文化的拠点に本拠をおいて活動した仏師のほうが,その地域ごとに個性的な作品を残している。そこで,まずこの1年間という短い期間においては,京都における流派間の作風の比較よりも,調査研究の対象とする仏所を絞って,当時の京都の仏師流派のありさまを探るべく調査を進めることにした。対象に選んだのは,以前,その作例を調査する機会のあった六条東洞院仏所である。今回とくにこの仏所を取り上げることにしたのは,本研究の助成申請の直前にこの仏所の墨書銘が記された新しい作例が発見されたからである。その作例は京都市伏見区摂取院所蔵の木造地蔵菩薩坐像である。摂取院地蔵菩薩は平安時代末期に制作された作品であるが,近年解体修理され,その際3か所に銘文が発見された。何れも修理銘と思われるもので,この像の制作年代自体に関わるものではないが,それぞれ時代が異なり,興味深い内容を含んでいる。今回この像について詳しい調査をすることができた。の修理のときに書かれたものではないかと判断される。書かれた銘文で,大佛所大進法眼六条東洞院佛所勅願寺文明十七年六月十八日と読める。,鎌倉時代後期頃優-111-

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