第3の銘文は,左側面材地付き付近の彩色の上に書かれていた明治14年の彩色修理この銘文によって,文明17年(1485)6月18日前後に六条東洞院仏所の仏師大進法眼が,摂取院像を修理したことが知られる。の銘文である。六条東洞院仏所の名が記されている作例は摂取院像のほかにはすでに2例知られている。第1の作例は,すでに小林剛氏によって紹介されていた京都市上京区千本閻魔堂引接寺の木造閻魔王坐像である。第2の作例は,米屋が紹介した山口県下関市功山寺の木造僧形像後頭部残欠である。引接寺閻魔王坐像墨書銘は,膝に伏せられた左掌面に,佛師開山法師定朝大進法眼定勢奉彫刻也日口六条東洞院□□佛所号勅願寺時□口宣阿弥陀佛長享二年八月吉日と記されている。功山寺の残欠の銘文は内剖り面に,大佛師大進法眼定勢奉彫刻也六条東洞院仏所勅願寺文明十年八月吉日と墨書されている。摂取院像,引接寺像,功山寺像の銘文は,それぞれ所により楷書的な書き方の部分と崩した部分があり,また,書かれた面が平滑であったり,竪跡の凹凸のある面であったりするので,筆癖そのものの比較が難しいところがあるが,字形から見ると,「法眼」の「眼」の偏が「耳」に近い形になっていること,また,「勅願寺」の「勅」の偏が「来」になっていることなどが何れにも共通する特徴として認められる。時代順に並べると,-112
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