鹿島美術研究 年報第8号
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⑪ 江戸後期東北地方における洋風画の基礎的調査研究研究者:仙台市博物館学芸員内山淳研究報松平定信に仕え,谷文晟とともに多くの真景図をのこした画僧・白雲の,遺作と歴のさらなる解明を主要な目的として,本調査は始められた。彼の事跡について最も詳しく,かつその作品調査も広範にわたった西村貞氏「画僧白雲とその写生図巻について」(「日本美術協会報告第56輯」昭和15年6月,『日本初期洋画の研究』昭和20年刊に再録)をもとに,まず論中に触れられた作品群の所在を確認することからが,その第一歩である。しかし,上記の論が戦前のものであり,戦禍をへて半世紀もの時を経過しているため,その調査もなかなかはかどらなかったがそれでも前記論中に言及された作の7割程の所在をつかみ,目にすることのできた作は80件近くにのぼる。なかには白雲研究上貴重な未紹介の資料も幾つか含まれており,約百件にのぼる作品所蔵目録を作製することができた。またその作業のかたわら,有年紀作品を基本にしつつ,先学の論考に助けられながらも年譜をひとまず作ることができた。白雲の調査と平行するかたちで,その他の東北の洋風画人たちの作品調査も行った。とくに昨春には福島県立博物館で「亜欧堂田善とその系譜」展が催され,未紹介の作が少なからず出陳されているのは幸いであった。また同年秋の秋田市千秋美術館での「秋田蘭画展」でも教えられるところが多かった。今回の調査により,秋田蘭画に関しては小田野直武の未紹介資料をはじめ荻津勝孝の作も数点目にすることができたが,いまだ論考にいたるまでの検討を行っていないので,今回の報告では割愛させていただいた。以下の事柄は,今回の調査の過程で浮上してきた諸問題である。①白雲の真景図『集古十種』資料採訪のため三浦半島を訪れ,さらには富士登山まで行った際の写生帖『天然自賞』(寛政9年)あるいは寛政10・11の両年の西遊時の写生帖などとともに,従来未紹介の作を見出すことができたことはひとつの収穫であった。たとえば亨和2年の,白河藩儒・広瀬蒙斎の紀行文が添付された「奥州龍崎路ノ瀑布真景図巻」(絹本著色)は,定信が企画した龍崎地方(現福島県須賀川市郊外)視察の際に描かれたもの。「龍崎ノ瀑布」すなわち乙字ヶ滝を,田善作「陸奥国石川郡大隈滝芭蕉翁碑之図」(『青蔭集』所載・文化11年刊)とほぼ同位置から精写したものである。白雲の真景図で年代の判明するものは,前述した寛政9年の三浦半島・富士紀行,-116

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