鹿島美術研究 年報第8号
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本寺にまつられているこれらの古代〜中世の仏像は,様式的にみて,多くが主に地方で活躍した仏師によって造像されたものとみられ,これらの仏師の集団については,これからも検討していきたい。また,西巌殿寺以外の阿蘇地域の寺院堂宇にも,中世の仏像がまつられているのではないかと思われたため,今回の調査では阿蘇郡の南側にあたる白水村,高森町などの寺院堂宇を調査することとした。白水村をふくむ南郷谷は,中世後期には阿蘇氏の本拠があり,寺院等も多数存在したのではないかとみられる。今回の調査で確認された主な作例をあげると,まず,両併阿弥陀堂の,木造阿弥陀如来坐像があげられる。螺髪は粒が大きく,肉詈はやや低<彫出されている。面貌は彫りが浅く穏やかで,平安時代後期の作例の特徴をのこしているが,複雑にあらわされた衣文や頭部の造形から,鎌倉時代末期頃の作例であろう。また,本阿弥陀堂には,室町時代後期の木造薬師如来立像,木造如来形立像もある。松の木観音堂には,本諄として木造千手観音立像がまつられている。本像は,室町時代後期頃の作とみられるが,脇手の二胃を頭上にあげ掌上に化仏を捧げもつ清水寺式千手観音像である。また,この観音堂には,鎌倉時代後期とみられる木造毘沙門天立像もまつられている。光照寺跡観音堂には,室町時代中期頃に造像されたと考えられる木造十一面観音坐像と木造不動明王立像,木造毘沙門天立像などがあり,室町時代後期の木造男神坐像が7躯と,木造女神坐像1躯がまつられている。また,白水村の円林寺,高森町の西教寺などには,江戸時代の阿弥陀如来立像があり,高森町の含蔵寺には長崎等で江戸時代に造像された,胸前で納衣の紐の結び目をあらわす形式の木造釈迦如来坐像などがまつられている。以上のように南郷谷では,期待されたほど中世の仏像を発見することができなかったが,これは室町末期の戦乱のため,それまでの天台宗系などの寺院が衰退したためではないかとみられる。今後も,調査のおよばなかった堂宇や地域などを詳細に調査していきたい。千光寺(南小国町)などの仏像について,現在,千光寺は堂宇となっており,いつごろ建立されたのか明らかでないが,境内には天養元年(1144)の板碑があり,平安後期ころにはすでに寺院があったものと想像される。本寺には,①木造千手観音立像(像高220.7cm平安時代後期),②木造十一面観音立像(166.5cm平安時代後期)などの大像がまつられており,ことに①の木造千手観音像は,面長で頬の豊かな独特の面相の作例である。②の木造十一面観音像は,明らか125-

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