廊への入口上方が広く開いている。一方主教座聖堂では,西壁の中央部にナルテックスから身廊への入口が形成され,つまり入口を残して両者を仕切る壁が形成されている。但しこの場合でも,構成上は西翼の筒形弯窪がそのままナルテックスの中央弯窪になっており,構成面では何ら異なりを示していない。この点では,2柱式,そして複合4柱式でもマニの諸聖堂は共通している。入口を別にして,身廊とナルテッックスの仕切り(西壁中央上部の壁)の有無を基準にしてマニの2柱式聖堂を分類すると,次のような4つのグループに分けることが出来る。(1)まず主教座聖堂,アギトリア聖堂,ピルゴス・ディルー村の聖マリナ聖堂(礎石のみ残る),コトラフィ村の救世主聖堂(天井が崩壊)が仕切り壁を有している。(2)次は身廊への入口が,下部では戸口のように狭くなっているが,その上方は身廊とナルテックスが,1つの弯窪でつながっている様子がよく見えるように広く開いている形式で,ヴァンヴァカのセオドロス聖堂,ディポロン村の聖ストラティゴス聖堂が挙げられる。(3)第3のものとして,丁度身廊部の西側の2柱間の広さと同じに,時にはそれより広く身廊西壁の中央が上方部で開いて,ナルテックスと身廊とが広い空間を作っているピルゴス・ディルーの大天使聖堂とガルデニツァの救世主聖堂が挙げられる。(4)最後に,身廊とナルテックスの間に入口が3つ設けられ,両者か一体化したような形式が,オヒアの聖ニコラオス聖堂とエリモスの聖バルバラ聖堂に見られる。ケレファの聖バシリオス聖堂はこの形式を取り入れているか,西翼廊が長くなって,ミストラのペリブレプトス聖堂のような西側へ伸びた身廊部を形成し,身廊への3つの入口がナルテックスに設けられ,平面プラン上では複合4柱式の身廊部のプランと類似した形式を見せている。(1)の主教座聖堂などは(2)の聖ストラティゴス聖堂や聖セオドロス聖堂より遅い建立と考えられている。それ故,マニ地方では(2)から(3),(4)へと発展をしていると考えられる。つまり身廊部とナルテックスが融合して,次第に西側に開放的な空間を作るように発展する。この展開はマニ地方独自のものなのか?また(1)の主教座聖堂のよう今年度のギリシアでの現地調査とフランスでの文献資料の収集は,主としてこの2点に関して行われた。ギリシアでの調査は(1)コリント地区,(2)アルゴリド地区,(3)メッセニア地区の3ヶ所で行った。な2柱式は他の西側が開放的な2柱式とどんな関係にあるのか?-129
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