鹿島美術研究 年報第8号
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アグヌンド修道院聖堂の建築構成は変っていて,通常の単身廊円蓋とは異り,中央の円蓋を東西で4半球円蓋が支えていて,小規模ながらコンスタンティノポリスの聖ソフィア聖堂のそれに似ている。アルゴリド地区のハギア・モニ,アギア・トリアダ,コニカの諸聖堂はいずれも純複合4柱式聖堂を示していて,首都コンスタンティノポリスの10世紀以降の聖堂と関係があると考えられる。特に,身廊内四隅の小円蓋の形成,中央祭室部の左右小祭室への通路に見られる寵状の膨らみにそれが見られる。一方リグリオ村の2つの聖ヨハネ教会はプラン及び建築構成ともにマニ地区の2柱式聖堂と類似している。しかし他の聖マリア教会などは4柱式を示していて,しかも聖堂内空間を複合4柱式に似せて造るなどこの地方独特の発展がみられる。これらアルゴリド地区の諸聖堂は皆入口を設けて,身廊とナルテックスは西壁できちんと仕切られている。このことは,マニ地方の12世紀に見られる主教座聖堂のような西壁で身廊とナルテックスを仕切る2柱式の教会堂建築との関係が考えられる。つまり,マニ地方での2柱式は西側の2柱が始め角柱である形式が定羞した。おそらく10世紀にスパルタの聖ニコンが伝えたという最初の聖堂がそれだと考えられる。ここでは西側は入口の開口部を持つのみで,ナルテックスと身廊は壁で仕切られていた。この形式は,10世紀から11世紀にかけて西側入口の上部が取り払われて,ナルテックスと身廊とが通じる広い空間を持つ形式へと発展し,同時に,西側の2柱が円柱に変えられ,いわゆる2柱式が完成し,更に12世紀には,ナルテックスと身廊部の間には3つの開口部を持つ開放的な形へと発展した。この発展とは別途に,12世紀には,繁栄していたアルゴリド地方の影評を受けて,西壁でナルテックスと身廊が仕切られた2柱式がマニ地方に導入されたと考えられる。一方,ハルーダの聖大天使聖堂やケリアの聖ヨハネに見られる略式複合4柱式が導入されたのもこの時期と考えられる。そして複合4柱式の単純形と考えられるいわゆる4柱式の発生もこの時期と推測される。メッセニアのサマリーナの教会はマニ地方の2柱式との結び付きを多くの学者によって指摘されている。しかし,身廊四隅の西側2つが小円蓋を形成していることからも首都との関係が強いと思われる。-131-

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