鹿島美術研究 年報第8号
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21 • 22アウレリウス家墓所のように,哲学者としてのキリストと異教的な哲学者の違Apostolico :キリストと複数の使徒の群像表現が登場する。アナポ8,ピエトロ・エ・6) 5世紀初頭の終えん期。7)それにつづく,巡礼地時代。3)コンスタンティヌス帝によるキリスト教の公認時代以後,哲学者,教師としての本を持つ人々の図像グループは,この時代区分において,はっきりした特徴をもって,たちあらわれるように思われる。1) 3世紀には,いまだ,「キリスト教美術性」は確立しておらず,従って,カリストいは,姿かたちからは,全く判別できない。この時代の哲学者像は,古代の理想郷的牧歌的風景の点景としてあらわされる。カリスト22においてキリストは,遠景に巻物を胸の前に広げた,ほとんど裸の哲学者座像としてあらわれる。正面手前に,井戸から水をくむサマリア女の姿がなければ,これがキリストであることはわからないままであろう。しかし両者ともそっぽを向き,2つとも,あたかも無関係な田園風景のモチーフであるかのような,そっけない扱いを受けている。同様に,カリスト21においても,パリオのみをまとった半裸で小太りの哲学者にキリストを認めうるとすれば,それは,その墓室に描かれた,他のキリスト教図像群からの想像の範囲にすぎない。両者とも,しっくいの白地の上に,輪郭線のワクどりなしに,印象派的なタッチで,ほとんどモノクローム彩によって描かれている。3世紀の後半には,哲学者としてのキリストの単独像が登場するのであるが,それがキリストであるとわかるのは,その像だけ切り取られて,重要な位置に置かれているから,また,その規模が,やや大きめであるから,というにすぎない。実際,マイウス3では,もっとも目立つ場所である,墓室奥のアルコンリウムに,トゥニカとパリオをまとい,巻物を左手に持ち,右手で祝福のしるしをする長髪の哲学者が,豹の毛皮を敷いた椅子の上にすわり,そのかたわらには,巻物のつまったカプサが,置かれている。光背,玉座といった道具だては何もないが,上質の白いしっくいの上に,いきなり,何のバックもなしに描かれており,そのモニュメンタリティーおよび仕上げのよさには,人を驚かすものがある。他に,ドミティッラ3,プレテスタート2が例として挙げられる。2) 3世紀末から,四分統治時代には,戦勝記念美術の影響のもとに,いわゆる,Collegioマルチェリーノ58,などが代表的な作例である。-146-

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