と言うのも,第一の定義は,いやしくも美術家を自称する者ならば誰しもが,“試実な考えを持って”いると自認していたであろうし,また,当然ながら持たなければならなかった。同様に,第四の定義も,美術家にとっては自明のことであって,最良の作品を制作すべく,少なくとも当人は努力しているのである。そこで,問題になるのが,第三の定義である。この定義は,当時のアカデミーとその付属機関である王立美術学校の教育方針に対する抗議を明白に示したものと考えられてきたからである。確かに,当時の美術教育は,巨匠とされる画家や彫刻家の作品を模写することを画学生たちに強要していた。そのため,彼らにとっては,この授業は決して面白いものでも,楽しいものでもなかったことは,十分に想像できる。もっとも,技術の修得を目的とする模写は,現在でも美術教育の現場において行われていることであるが,生徒にとっては多分に無味乾燥と感じられることであろう。イギリスにおいてこのような教育方針は,アカデミーの創設者であったレイノルズ以来のものであった。従って,この第三の定義は,レイノルズに対する批判であると同時に,レイノルズが提唱した伝統の尊重,言い換えればレイノルズが尊重したルネサンス美術,を拒絶した新しい定義と見倣されることになった。そして,この定義から,ラファエル前派は,ラファエル以前の芸術に戻ることを提唱し,中世美術への憧憬とその再現を彼らの作品のなかに表出し得たことに意義があると考えられてきたのである。私自身,レイノルズ批判と中世美術への回帰を提唱したこの定義に,ラファエル前派の最も重要にして革新的な意義があると見倣してきた。ところが,今回の鹿島美術財団の助成による研究によって,この定義そのものに大きな問題点が存在することが明白となったのである。まず第一にレイノルズ批判であるが,彼自身,ルネサンス美術を絶対的なものとして,称讃しているわけではない。のみならず,ラファエル前派がラファエル以前を提唱するに至ったラファエルに対しては,必ずしも高い評価を与えてはいないのである。さらに,彼は中世美術に対しても,当時としてはかなり正当な評価をおこなっているし,後述するように,ラファエル前派が最も重視した宗教美術に対しては,最も高い価値を与えて,美術家の最大の目標を宗教作品の制作においているほどである。こうしてみると,ラファエル前派のレイノルズ批判は,伝統を遵守するあまり,形骸化した当時の美術教育に対する批判,石脅デッサンと巨匠とされた芸術家の作品の模写154
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