鹿島美術研究 年報第8号
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を中心とする描写力の向上に対する反発と考えなければならないであろう。しかも,この批判は,ロセッティにとって最大の弱点,すなわち後年に至るまでのデッサンカのなさ,を逆説的に明らかにすることになった。第二の初期ルネサンスから中世美術に対する憧憬と回帰についてであるが,ここにも多大の問題点がある。と言うのも,19世紀後半のイギリス社会においては,中世文化への憧憬自体が,決して特殊なものでも,革新的なものでもなかったことが判明したからである。ラファエル前派は,この社会的な流行現象をいち早く美術を中心に,自らのものとして,作品のなかに表出したにすぎないのである。しかも,彼らは,必ずしも初期ルネサンスや中世のプリミティブ美術のみを讃美したわけではなかった。これは,ハントやロセッティが感動した作品に,盛期ルネサンス期や後期ルネサンス期のみならず,マニエリスム期の作品までが多数含まれていることによっても明白である。それでは,ラファエル前派の意義はどこにあるのであろうか。まず第一に考えられるのは,ラファエル前派同盟(Pre-RaphaeliteBrotherhood) という秘密結社めいた名称を考えだし,この名称の頭文字を画中に挿入し,なおかつこの由来を明らかにしなかったことにあろう。しかしながら,この頭文字は,ロセッティによって早くも1850年に暴かれてしまう。この結果として,ハントやミレーの作品は,宗教上の冒漬,不帷を犯し,また画聖として崇められていたラファエルと自らを同等なものと見倣したとして,厳しく断罪されることになった。ただ,ここで注意しなければならないのは,このP.R.B.の頭文字の意味が不明のままであったなら,彼らの作品に対する非難は,さほどのものではなかった,と考えられることである。というのも,1849年の時点では,彼らの作品は好意をもって受け入れられたからである。しかも,非難の嵐は,ほどなくしてやみ,ロセッティやミレーの作品は大多数が好評を博し,また購入されることになる。こうした実情は,逆に,彼らの作品が当時の人々にとって,絵画の革命とは見倣されなかったことを物語っていることになろう。第二点として,宗教的,文学的な内容を主題としたことが考えられる。この点に関しては,前述したように,決して革新的なものではなかったにしても,主題の扱い方2.初期ラファエル前派の意義155-

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