鹿島美術研究 年報第8号
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的な意味での成功を成遂げ,画壇の中心人物として活躍する。このため,追従者も多く,画家に対する影聾力には,極めて大きなものがあった。しかし,彼のこうした作品から,当時のイギリス肖像画や風俗画の質の高さと繁栄を知ることはできるにしても,前述したラファエル前派の制作方法と厳格な定義を見出すことは不可能に近いと言わなければならない。ここで再び問題にしなければならないのは,ロセッティを中心に再構成された,いわゆる中期以降のラファエル前派の活動である。前述したように,ロセッティ自身は,すでにラファエル前派の厳格な定義からはるかに遠ざかったところにいた。しかし,彼を信奉して彼のもとに集まったモリスやバーン=ジョーンズ,とりわけモリスは,ラファエル前派の宗教性と道徳性に対して共嗚し,その精神の継承者となった,と見倣されるからである。彼が1861年に設立したモリス=マーシャル=フォークナー商会の活動方針は,中世への宗教的,道徳的回帰を手仕事を中心とする作品制作と共同制作の形で明示したものとして知られている。この点において,モリスは,ロセッティのみならず,形成期のラファエル前派以上にラファエル前派的であると考えられる。しかしなから,彼の造形美術上の主たる仕事は,絵画ではなく,装飾工芸にあった。彼の活動の主眼が,人々の日常生活を潤し豊かにすることに置かれていたこと,と彼の芸術家としての技鼠が,絵画よりははるかに工芸品の制作に適していたからである。従って,絵画における技法上および制作上の革新,象徴的意図の内包,といった初期ラファエル前派の主張を彼の作品から見出すことは不可能に近い。こうしてみると,ラファエル前派の活動は,初期ラファエル前派の解体をもって終了したと見倣すことができよう。しかしながら,二つの点において,初期ラファエル前派の解体の時期を明確に決定することができなかった。その一点は,1857年のオックスフォード・ユニオンの壁画制作とロセッティとの関連性である。もし,この制作を最も熱望した人物が,ロセッティであったとしたならば,前述したごとく,ここには明白に初期ラファエル前派の精神が顕著であるので,彼はまだラファエル前派に残存していたと考えら九るからである。4.ラファエル前派とモリスとの関係5. ラファエル前派全体の活動期-159-

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