鹿島美術研究 年報第8号
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⑬ 幕末期における江戸洋風画の新たな変貌過程としての北斎と広重の風景画研究者:啓明大学校非常勤講師研究報幕末期浮世絵界の巨匠北斎と広重は,特に浮世絵における風景画のジャンルにおいて名が知られている。それは浮世絵の長い歴史から見た場合,特異な現象と言わざるをえない。浮世絵とは大衆の好みに従って,身のまわりにあるごく現実的で刹那的な主題,遊廓や歌舞伎の世界を主として取り上げていたが,それは言わば人物の表情や動作を主要モティーフとしていたことを端的に示している。浮世絵界におけるこのような人物中心の表現世界が,幕末に至っては自然景観を主要モティーフとする洋風風景画へと転じつつあったことは如何なる理由からであろうか。さらに,彼らの風景版画が,それ以前に洋風風景画を本格的に開発した江戸洋風画派の画風とどう異なるかという問題がこの論の中心課題である。まず,洋風風景画の発生とその発展過程から考察してみよう。1.江戸洋風画における洋風風景画の発生江戸洋風画の以前にも洋風風景画らしいものはないでもない。例えば1740年頃の奥村正信が透視遠近画法を取り入れた浮絵において,また伝統の日本画駁において円山応挙が宝歴年間の末(1760年頃)に日本実景に基づいた眼鏡絵において,それぞれ試みたことがあったか,それらには自然の景観を主題にしていたものの,光源を意識した陰影法が抜けていて,量感をもった個々の対象が自然な形で自然空間の上に散在している画形式の風景画とはなっていない。しかし,そうした形の風景画が東洋で始めて現われたのは江戸洋風画家たちの手によってであった。その意味で,江戸洋風画派の歴史的な意義は,何といっても東洋において西洋画法による風景画の誕生にあると言える。秋田の藩主佐竹曙山とその家臣小田野直武をはじめ,江戸庶民出身の司馬江漢は当時僅かに舶載された洋書や銅版画を手掛りとしながらも,西洋画法による風景画を成就していた。江戸洋風画派は東洋で始めて西洋画的な視覚を自覚的に導入し,それを理論的な体系をもって理解していた画派としても特記される。そうした意欲的な導入は,当時移入された西洋原画からの単なる外部的な刺激によるものだけではなく,近世日本社会の内部にその主要な動因が捜せる。江戸洋風画が誕生する前夜の日本社会においては,「物」を物らしく描写しようとする意識が高まり,それが新写実画風としての西洋画法の導入を呼び起こす基盤となってい李仲煕-161-

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