鹿島美術研究 年報第8号
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たのである。田沼時代において江戸を中心とする「商業の発達」は,「物」に価値を与える原動力となって,あらゆる「物」が商品化され,「物」自体への認識を厳しいものとしたのである。それがさらには江戸後期の思想体系全体を転換していくための基軸を提供していた。十八世紀の半ば頃は平賀源内に代表されるように本草学や物産学時代とも言えるが,それは正に「物」の理を追求しようとする意識から発展したものであった。ところで,その分野ではその実証学問の成果を残すための図譜作成が盛んに行なわれ,「物」が正確に描写できる描き手が要請されていた。秋田の藩主を始めとする武家画家たちはその要望に応じて秋田蘭画という前衛的な画風を生み出したのであった。実証的な自然科学分野からの要請に応えて出発した秋田蘭画は,第一段階において,自然科学分野で増幅されていた個々の「物」に非常に近接して細かく描く,言わば“集中的写実’'とも言える科学的な冷たい写実画風を受け継ぎながらも,それを絵画の世界に転換させ,美的な表現に昇華させていた。秋田蘭画家たちは「物」が物らしく見えるようにするため,博物学に要請されたその緻密な揺写に,陰影法を取り入れて,物を量感をもった立体として表した。その第二段階では,さらに彼らは手前に個体を大き〈し,その背景に低い地平線を設置する。そうした変化は単なる物の描写から視覚が拡大し,景観の描写にも関心を示していることと言え,また,その地平線の登場は従来俯轍視的に景観を捉える非現実的な見方から抜け出して,現実的な視点から眺める全く新しい見方であった。こうした「遠小近大」の構図は,近い物は大きく遠い物は小さくてぼけて見えるという西洋画の風景画の原理を単純に解釈して描いたものであろう。第三段階は,透視遠近画法が非常に強調された地平線のある自然の広大な空間の上に,それぞれ量感をもった個々の事物が散在している状態の西洋画的な風景画が成立していたのである。以上のように,安永天明年間は本草学ないし博物学を始めとする自然科学分野が非常に高まり,そこで必要な個々の「物」への写実描写が増幅されていたが,江戸洋風画家たちによって,その写実描写を西洋画法により本格的に実現し,その延長線上で,遠近法の強調された風景画が成就するまでに至ったのである。ところで,司馬江漢以後の洋風風景画の版図は,寛政改革が自由思想家や幕府批判者たちに少なからずの打撃を与え,洋学者たちは幕府の管理下に入ったため,その洋-162-

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