その中心を自国に置けばそのままおかしみになり,それが滑稽になる。このように都市的・町人的・高踏的な性格から大衆的,全国的に変化したのは,単なる美術分野のみならず文芸壇全体の傾向であり,杜会全体の動向であったとも言えよう。(2)北斎と広重の風景版画における描写の特徴江漢洋風画の後半期頃から文芸壇全体における大きな変化が最も鋭敏に現われた分野は,何といっても浮世絵界であった。それは,その需要者である大衆の好みを常に意識し,それに素早く対処しなければ絵師としての生命が断たれるという人気商売であった庶民芸術の浮世絵の体質からくる現象であろう。こうした浮世絵の宿命的な環境のなかから彼らは新様式絵画の導入に常に触覚を尖らせていたが,そのことがちょうどその変動期を生きていた葛飾北斎の画風にもよく示されている。自ら「画狂人」と言い,生涯三十個以上の号を持って,各種の画派を渉猟していた北斎は,寛政十年頃から「北斎」という号を使い始め,画風として洋風表現に画道を定めたようである。北斎の画業が一般の絵師や浮世絵画家とは相違した特異な一つに,彼が主として従した分野が本絵つまり絵画作品にあるというより,読本の挿絵ないしは絵本の方にあったということである。言い換えれば,北斎画風の謎はそうした出版物の挿絵という性格に大いに関連があるようである。第一に,北斎画風の全般的な特徴の一つに,色,形態の強い対比と,デフォルメが激しくて形が自由自在に変化していることと,また突飛な捉え方が多い。そうした性格は,彼が早くから携わった読本,特に風刺的な機知を特徴とした黄表紙の挿絵によって磨かれたところが少なくなかったのであろう。読本界では読者の趣向によって寛政期から天保にかけて激しく変わっていくのだが,彼も常に人気の高い出版物に従事していく。彼は十六歳頃から黄表紙(天明・寛政期前半),狂歌本(寛政末・享和期),読本(文化期),絵本(文化期末から末年まで)など次々に変わっていくのだが,彼の挿絵の画風もそれらの本の性格によって変わっていく面が少なくない。第二の特徴は,彼の画風が寛政末年頃から徐々に人物描写から風景描写に変わっていくのだが,それは浮世絵界では注目すべき変化であろう。そうした主因の一つに寛政改革を機にして,その主題が人の触りにならないところの野外の自然描写に移ることであろう。また,秋田蘭画や司馬江漢らの江戸洋風風画家によって,当時としては自然の斬新な捉え方が開発されていて,浮世絵界でもすでにその見方を歌川豊春らが取り入れていた。-164_
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