-1927)は,ロダンや守衛の劇的な表現を受け継ぐとともに,彼独自の繊細な感性をthe Making (Phaidon Press, Oxford, 1980). Art Moderne 1982). et d'Histoire, Geneve 1985). (3) 戸張の歿後出版された『戸張孤雁作品集』(日本美術院1928年)における彫刻の影。また(筆者は未見であるが),1923年と1926年に限定20部で刊行された『富本憲吉模様集』では,中心から外れたところで急速にピントがずれていく印象主義的な撮影が行われているという。ここで『中原悌二郎作品集』に立ち返ると、平櫛田中の編集後記によれば、野島は、作品の撮影に際し「戸張君を相談役」にしたという記述が注目される。荻原守衛の死を契機に、中原悌二郎と相前後して彫刻を始めた戸張孤雁(1882もとに,晩年の作風は,むしろメダルド・ロッソに近い印象主義的なものへと展開していった。こうした戸張の感性が,野島の撮影に何らかの影響を及ぼした可能性が想像される(3)0 時代の歩みが重なる日本の近代彫刻と写真の相互影縛関係は,さらに詳細,多岐にわたる比較検討がなされる価値があろう。(1) • Albert E. Elsen, In Rodin's Studio : A Photographic Record of Sculpture in 0「20世紀イタリア具象彫刻展」(1988-89岐阜県美術館等)上村清雄「メダルト・ロッソ」「生誕150年ロダン展」(1990宮城県美術館等)三上満良「ロダンと『写をめぐって」(2) 光田由里氏(渋谷区立松濤美術館学芸員)の示唆による。但し,更に氏が指摘するように被写体の中心部では焦点があっているため,当時の写真技術から判断して,野島がどこまでこの軟焦点に関して意識的であったのか考えを留保する余地がある。写真(撮影:大円青域,大円青圃)は、『中原悌二郎作品集』より,一層印象主義的色彩の濃いものとなっている。• Brancusi photographe, Paris (Centre Georges Pompidou/Musee National d' • La sculpture devart la camera 1844-1936 (Cabinet des Estampes Musee d'Art -169-
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