⑪ リアリズムから印象派ヘーークロード・モネの場合ー一研究者:京都市美術館学芸員米村典研究報告:8月下旬から1カ月渡欧し,<草上の昼食〉,<庭の娘達〉を所蔵するオルセ美術館をはじめ各地の美術館でモネを中心とする印象派の作品を調査し,最後にロンドンのロイヤル・アカデミーで開催中の1890年代の連作を一堂に集めた大展覧会Monetin the '90sを見て帰国した。調査研究はく庭の娘達〉を主目的としたか,モネの画業全体にとっても時間という問題が重要な鍵となることを,この展覧会を見て実感した。この時期に向けて考察を進めることを今後の課題としたい。モネが1860年代に制作した人物のいる大作,とりわけく草上の昼食〉やく庭の娘達〉は,アイザークソンによる<草上の昼食〉研究があるとはいえ,その重要性にもかかわらずまだあまり研究が進んでいない。モネは人物を描くことを断念し風景画に専念していくのであり,風景画こそ印象派の本質的部分であるという考えはいまだ支配的である。しかし,モネにとっての風景画の意味は,60年代の人物画の試みからの移行抜きには考えられないだろう。1863年の落選者展で非難を浴びたマネのく草上の昼食〉に触発された同じ題名のく草上の昼食〉(1865-66)は,約460X600cmという野心作だったか,未完成に終わった。この作品は,戸外で描かれた習作もあるが,実際の制作はアトリエで行なわれた。次のく庭の娘達〉(1866-67)はより小さいが(256X 208cm),戸外で制作されたという点で画期的なものだった。このような大作の場合,大きな画布を倒れないよう固定すること,天候の急変に備えること,あるいはモデルに快適な条件でポーズさせること等,戸外で描くには難問はつきなかっただろう。しかし,モネは敢えてそれに挑戦した。それは普通,見えるがままを描こうというリアリズムの態度のあらわれと解釈される。よく知られている二つの逸話もこの解釈を支持するものだろう。当時親交のあったクールベが庭のモネを訪れると,彼は制作を中断していた。理由を尋ねると,モネは太陽の光が射していないからだと答えた。また,縦長の大きな画布の上端部を描くために,モネは庭に溝を掘り中に作品を下したという。画家自らが台の上に立てばいいが,その場合庭を眺める角度に変化が生じる。彼はそれを好まず,より困難な方法を選んだのである。これらの逸話は,<庭の娘達〉制作にあたってモネが光の効果と視点を一定に保った-173-
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