ル前派を中心とする私的なサークルから広がっていったものであったが,このモリスの精神に強い影響を受け,1900年の前後に目覚ましい活躍を見せた一群の建築家,デザイナーたちもまた,基本的には自らの個性的なデザインを限られた施主に提供したのであった。しかしながら,モリスらの努力にもかかわらず機械生産の波によって手工芸の伝統が否応なく失われ,また機能主義のデザイン思想の台頭と共に,こうした個人主義は1900年代の後半以降急速に衰退していく。「美意識に禍はされた工芸」は,こうして現実に退けられていったのであるが,柳の批判は,モリスらの仕事を正統に継承しつつ,西洋近代工芸運動とは全く異なる方向において,すなわち近代そのものを否定することによって,その矛盾を乗り越えようとするものであったといえよう。近代的芸術観から出発しながら,次第にそれを脱却し,「下手もの、美」を独自に発見していた柳であったからこそそれが可能であったのではないだろうか。180-
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