(John Ellerton Lodge)がデンマン・ロス博士(DenmanRoss)に宛てた書筒(ボ平治物語絵巻の記述も見え,これにより当時の収蔵品の全体のレベルが推測できる。また,未発表の日付なしの中国日本部作業メモには,天心が絵画3642点の調査記録を作成し,その分野のボストンのコレクションは世界最大のものであり,欧米においてユニークであるのみならず,奈良や京都の帝室博物館に次ぐ多数の優品を所蔵していること,そして江戸時代の絵画類の一部はどの美術館より優れているとの評価を下している。彫刻の分野でも,ボストン美術館未発表資料が今度の調査によって発見された。52ページからなる調査記録であり,天心の名は付されていないものの,筆跡から天心直筆であることは明らかである。上記リストと違い,これには各作品に関する天心の評価が記入され,天心の彫刻に関する知識の深さを知ることができる。これには日付はないものの,1906年3月の館報への言及が第955号毘沙門天像の記録に見えることから,それ以降の調査記録であることは確かである。他に今回の発見のなかで興味深かったものは,天心自らの個人コレクションに関する書簡であった。1920年5月25日付の当時部長であったジョン・エラートン・ロッジストン美術館蔵,未発表)には,天心愛蔵の美術品が同館に到着したことが記されている。合計45点からなるこの天心の個人蔵であった品々は,第一級のものとあり,中でも平安初期の仏画(大威徳明王画像)が最高傑作であるとロッジは称賛している。その他,鎌倉初期の木像,同じく鎌倉初期の文殊菩薩画像,宋末の山水画,中国の石像二謳,中国の鏡数枚,および中国の陶器三点も含まれているとある。ここに表われる「鎌倉初期の木像」は快慶作弥勒菩薩立像に間違いなく,興福寺にある明治38年(1905)の写真に,他に売りに出された仏像や断片とともに撮影されている。1905年11月2日付の「美術館評議委員会における岡倉氏の発言」(ボストン美術館蔵,『天心全集』所収)と言う記録に「…奈良の寺院は金銭的に困窮しており…僧侶が収集した物は売却が認められている…奈良のある寺は,40点の美術品を売却したいと考えており,その中の16点は極めて質重なものである…特に注目に値するものとしては,特殊な漆塗技法を用いた物が数点ある。」との記述が見られる。ここに言う「特殊な技法」とは多分,脱活乾漆造のことであり,興福寺の十大弟子と八部衆がただちに想起される。この時,ボストン美術館はこれらの作品を購入することを控えたが、弥勒菩薩立像が天心の個人蔵となったのはこの時期であろう。-183-
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