図様の系統においてきわめて近しい関係にあった。しかし,両者の図様を比較してみると,光琳模様の方が図様に抑揚があり,運筆の動性も豊かで,友禅のそれを明らかに凌駕している。友禅の画風は,たしかに当時の人々を魅了したであろうが,より個性的で魅力に富んだ光琳風の模様のまえに輝きを失してしまった点は否定できない。友禅の絵画的図様の系統は,光琳模様の隆盛とともにその流れに吸収されていくかたちで収束していったと推定される。そしてその過程で,初期の「友禅」に明瞭であった意匠としての側面は後退し,反対に技法としての側面が強調されていったと考えられる。【2】友禅と染色工房について(1)貞享5年(1688)に刊行された小袖雛形本『友禅ひいなかた』は「友禅」の名を冠しているにもかかわらず,友禅自身はその刊行に関わっていない。筆者であるところの友盪斎は染エと思われる人物で,模様図の上欄に地色の指定や染色の手法,仕上げの指示等,施工に関する細かな説明を付し,さらに巻頭に「凡例」をもうけて「友禅流」の優れたところを述べている。そして序文には「予幸ひに(友禅を)しる事ありてよくまなび得たり」と絵画界の寵児友禅に絵の手解きを受けたことを記して,友禅との関わりを強調している。本書には「友禅流」を積極的に推進しようとする意図が一貰している。一方,友禅直筆の小袖雛形本『余情ひなかた』は,「たゞおほかたのもやうばかりをあらはし」(序文)というように模様の題以外施工説明等一切の説明を省いた形式をとっている。このデザイン集に終始する姿勢は,『友禅ひいなかた』において染工たる筆者が染色技法を詳述しているのと対照的に,友禅自身が染色の工程に携わっていないことの証左となる。後世の友禅染の隆盛を考えるとき,両者の比較からは,友禅の意匠を積極的に摂取し,先端的な染色技術を駆使して小袖模様として普及させ得た染色工房の存在が浮上してくる。【3】友禅と染色工房について(2)『友禅のひいなかた』の施工説明には,「糊置き」や「白あがり」といった糊を用いる防染技法が頻出している。模様の細部まで明確に表出するのに適した糊による防染は,同書の絵画的図様の染色に是非とも必要であったに相違ない。しかし糊による防染技法は既に寛文年間には庶民レベルまで浸透し,一部,模様染にも応用されていた。本書の評価すべき点は,それら在来技術を土台に上層階級に固有であった細かな糸目糊による模様表現を庶民レベルで開花させたところにあったといえる。-186
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