鹿島美術研究 年報第8号
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⑮ 平安時代の不動明王彫像の展開についてII. 11世紀不動明王彫像の基準作例研究者:慶應義塾大学大学院博士課程山岸公研究報I.はじめに今回の研究助成により実査することのできた作例21件のうち,11世紀に位置づけられる作例は12件にのはり,うち3件は基準作例ないしそれに準じている。多様なこの時期の不動明王像表現の変遷を考えるうえで,またひろく和様彫刻大成期の彫刻史の精度を増すためにも賞重な視座を与えるこれら作例を中心に,今回の調査研究の内容を振り返ってみたい。当期の不動明王彫像のうち,従来大方に知られていた基準作例は次の5件である。寛弘3年(1006)長和3年(1014)銘滋賀・園城寺像寛仁元年(1017)以前和歌山・金剛峯寺像[昭和元年焼失,旧金堂諸像のうち]康平7年(1064)銘神奈川・佐伯家像寛治8年(1094)銘大阪・滝谷不動明王寺像今回,新たにこれらに加わるとみられる作例は次の3件である。窪弘7年(1010)以前兵庫・円教寺像[五大明王像のうち。『延照記』所収『播磨国飾万郡円教寺縁起等事』に見える安置の「五尺不動明王一体」にあたると思われる。同縁起古本の成立した寛弘7年以前の制作と見られ,同書次条に記される他の四明王像と一具であるが,頭頂・体部背面を除く像表面の補修が著しい。]寛治4年(1090)頃京都・新宮寺像[寺蔵の『由来記』・『船井郡紅新宮大権現略縁起』に寛治4年白河上皇による新宮権現建立のことが伝えられる。両書は後世の撰述で伝説的要素も多いが,同緊院像に倣う形制をもち,表現にも大らかさのある本像の造立は,この頃に遡ると考えてよい。]嘉保3年(1096)頃大阪・荘厳浄土寺像[荘厳浄土寺は『後二条師通記』等に見える嘉保3年3月14日供養の津守国基堂に当り,滝谷不動明王寺像と共通する形制や作風から本像造立をこの頃と見てよい。]京都・同衆院像[旧法性寺五大堂像]189

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