i.同衆院像の影聾_三井様の隆盛ー一—11世紀の作としてあげられ,12世紀の例では群馬・立石寺像,京都・醍醐寺理性院像,12世紀後半に成立した心覚の『鶴林紗』中に,東密の代表的な不動彫像である東寺以上8件の基準作例に基づいて平安時代後期の不動明王彫像の流れを図像(三井様・十九観様)・構造の両面を中心に略述する。III.平安時代後期不動明王彫像の展開同衆院像の造立以後,その系統を引く,正面向,総髪,両眼開,上歯牙下出で花飾付の紐二条(または紐・珠繋・紐)の宝冠,結無くねじれ垂れる弁髪,条吊末端の上端から垂れる形を示す遺例が平安後期を通じてきわめて多い。弁髪七結の過渡的様相を示す園城寺像を初めとして,基準作では佐伯家像,新宮寺像,そのほか山梨・大聖寺像大分・金剛宝戒寺像三重・田宮寺像,和歌山・金剛峯寺像(合体不動),一甲.大聖院像福井・常禅寺像福井・大谷寺像,鹿児島・南洲寺像,兵庫・無動寺像が奈良・千万院像,栃木・鐙阿寺像,香川・白峰寺像,鳥取・大山寺像,京都・大覚寺像[安元2年(1176)■3年]がある。13世紀の兵庫・神呪寺像のような例外を除けば,大覚寺像造立の平安最末期がほぼその流行の下限を示すものと思われる。このうち金剛宝戒寺像や常禅寺像のように,頭頂に沙髯を表わさず,同衆院像よりもさらにその祖形となった円珍請来様(三井様)図像と近い細部を有する例があることは注目されてよい。従来総髪,両眼開,上歯牙下出の形相の不動はおしなべて空海請来様(大師様)と考えられがちであったが,頭頂に蓮華を配し,弁髪に結のあるその特徴を備えた11■12世紀の作例は,金剛峯寺金堂像のほか,広島・大聖院像,高知・西山氏像,石川・小松市立博物館像,東京国立博物館像(岡野氏寄贈),岐阜・横蔵寺像(板彫法華曼茶羅のうち),静岡・智満寺像(阿弥陀諸尊寵のうち)<以上11世紀〉,滋賀・大林院像,和歌山・親王院像く12世紀〉を数える程度である。しかも横蔵寺の法華曼荼羅が天台系の腺像構成を示し,同趣の形制の図像が円珍請来図像中にもある『胎蔵旧図様』ことを考慮に入れれば,東密の根本である。空海請来様に確実して拠ると言える平安後期の現存作例は蓼々たる有様である。金剛峯寺像・親王院像の条吊末端の上端から垂れる形や,東博像・横蔵寺像の,ねじれ垂れて末端に結を一箇所のみあらわす弁髪の形式も,これら諸像にまで同衆院像・小松市博像の影聾が及んだことを物語っている。西院像について,恵什の説としてその「頭髪直下」し「両目倶に開き,上歯牙皆露れ190_
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