鹿島美術研究 年報第8号
224/364

紀前半の作と見られる山口•国分寺像で,両眼開,両膝を露わにする立ち姿になお黄下唇を咬む」像容を「三井様の如し」と評しているのは,この時期三井様こそがこの種不動像の典型とみなされていたことを示すものであろう。三井様の特徴である―子・五使者を伴う彫像が園城寺(三井寺)において造立されていたことも記録から知られ[『本朝文集』巻54所収『供養三井寺常行堂願文』寛治2年(1088)],甚目寺本不動明王画像の形制にも三井様との親縁性が認められるなど,当代不動明王像表現における三井様の隆盛は顕著な時代色として特筆されねばなるまい。ii.十九観様の展開9世紀後半〜10世紀初頭に成立した不動諄観想法「十九観」は,10世紀末玄朝によって初めて絵画化されたと考えられている。いっぽう,十九観様に基づく天地眼.牙上下出の不動彫像として最も古い静岡・金龍院像も10世紀後半に遡る古像である。両像を比較すると,頭髪表現の相違ー一玄:朝様不動は巻髪,金龍院像は総髪は元来十九観の規定には無く,玄朝はおそらく図城寺本不動明王画{象(黄不動)をはじめとする先行する画像に範をとったと推測されるが,彫像ではその表現に対して抵抗感があったものか,円教寺像や和歌山・南院像大分・龍岩寺像,大分・熊野神社像など11世紀前半の天地眼の作例も総髪に表す場合が多い。さらに11世紀を中心として,正面髪際のみを巻髪とする折衷的な形式が一時流行したと見られる。現存例として,岡山・勇山寺像,三重・常福寺像(五大明王像のうち),福岡・猛勇神杜像,神奈川・松岩寺像,千葉・妙楽寺像,兵庫・光久寺像,富山・日石寺像(ただし両眼開上歯牙下出)などをあげることができる。このような状況を抜け出て,すべて巻髪に表わす不動明王彫像が造立される一つの契機として,黄不動の立体化としての彫像の成立が考えられる。記録に明徴のあるその造像例としては『御堂関白記』長和2年(1013)5月14日条の「金色不動」が初見かと思われ,11世紀前半に遡ると見られる遣例が京都・円隆寺にのこされている。すべて巻髪にあらわしながら黄不動とは系譜を異にする不動彫像の初例は,やはり11世不動との新縁性が認められる。十九観様の不動では神奈川・極楽寺像が11世紀中葉まで遡る古例で(ただし巻髪は前面のみ),11世紀後半には滝谷不動明王寺像・荘厳浄土寺像の二例の基準作を含んで,大阪・聖徳寺像,東京国立博物館像,滋賀・西明寺像などを輩出し,12世紀に入ると京都・峯定寺像[久舟元年(1154)]をはじめとして不に気付-191-

元のページ  ../index.html#224

このブックを見る