不動明王像表現における和様化—つ。ら不動明王彫像においては,丈六の如来像と違って同衆院像の名残りすら感じさせる木割法が用いられることも注意してよかろう。この期の不動明王像は,先述のように図像の消長をたどることがある程度まで可能であり,今後精度を増す編年作業に伴い,寄木造の確立のさまをあとづける作例がさらに見出されることも期待できよう。w.結びにかえて平安時代後期の不動明王像は前期の作例の表現の強さに比べ繊弱であるとして,従来その研究は等閑視されてきた。しかし,その「繊弱さ」を導く必然性が何かあったのではなかろうか。いま,中国の不動明王のイメージのよりどころを影響力の大きかった『大日経疏』の「作蒋怒之勢極怠之形」に求めるならば,仏敵を破砕する怒りの姿が強烈に印象づけられる。いっぽう我国では,受容の初期において既に東寺講堂像のように節度を保つ念怒の姿が見られ,「十九観」には念怒の相を表す心は「六道の衆生を襖念する」慈悲に基づくとする性格規定が看取される。同衆院像の表情に表された悲しみとすら見える陰影は,平安中期の我国における不動明王のイメージを造形に定着し得たあかしと思われるが,繊弱と言われる平安時代後期の不動明王像の表現も,後代「泣不動」の説話まで生む日本化した不動明王観と深く関わるに違いない。今回の研究助成による知見はほぼ上記の如くである。今後とも研究を継続し,当代不動明王彫像の全体像を構築することを期したいと思-193-
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