鹿島美術研究 年報第8号
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白磁の装飾の系譜の中でとらえられ,その後青花の技法と結びついてより一層の効果を発揮したといえるのではないだろうか。このように考えるのは,元時代の青花盤などの一部に中心となる文様をとりまく牡丹唐草文などの文様帯を印花であらわし,地の部分を青花で塗りつぶしている例がみられるからである。元時代の青花磁器を特徴づけている様式は,筆彩が生み出す自由で絵画的な表現という要素だけでは説明できないのである。宋代の陶磁器が無文の青磁や白磁の端正な器形や釉色の美を追求し,あるいは文様を描く場合には器全体を一つの画面に見立ててゆったりとした構図の絵画風の文様を描くのに対し,元代景徳鎮窯の様式は,器面を飾る文様装飾の復権,厳格な規格にのった構図を設定し,文様の種類の変化によってヴァリエーションをつける様式の確立といった流れの中で考えることができる。この過程で印花による装飾が選択され多用されたと考えることができるのではないだろうか。印花技法を視野に入れることによって元代景徳鎮窯の青花磁器の複合的な性格が理解できるのではないだろうか。印花技法が復興し,あるいは特に印花技法が選択されたとみられる例はこのほかにもある。例えば,李氏朝鮮時代の初期に小さなスタンプ文で器面を埋めつくした粉青沙器が比較的短い期間おこなわれた。わが国でいう三島暦手である。粉青沙器は技法的にみれば高麗の象嵌青磁が転生して李朝的性格をそなえるようになったものととらえることができ,高麓象嵌青磁に絵画風の文様がゆったりと配されているのとは好対照をなしている。この粉青磁器に見られる印花文は新羅土器の印花文とははたしてどのような関係があるのか。また古瀬戸は中国製の青白磁の梅瓶や四耳壺の写しをさかんに焼いたが,中国製の本歌では箆彫りで文様が施されるのに,古瀬戸では写される過程でスタンプによる巴文や菊花文に変化している例がある。これにはどのような意味があるのか。このような印花装飾を手掛かりにした比較研究を今後の課題としたい。197-

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