⑱ 鎌倉地方における観音半珈像の成立と展開研究者:鎌倉国宝館学芸員浅見龍介研究報ここでいう観音半珈像とは,鎌倉地方のみにまとまってみられる片手を地面について,片足を踏み下げている姿勢の像のことである。従来「半珈像」と呼ばれているのでそれにならったが,実際には半珈しない(片方の足も組まない)ので適当な呼称がない。西川新次氏より「遊戯坐像」と呼ぶのが妥当ではないかとの御教示を受けたので今後はそう称したいがここでは半珈像で通すことにする。まず現存する像をあげる。①禅居院聖観音像鎌倉時代②横浜・慶珊寺十一面観音像正慶元年(1332)院誉作鶴岡八幡宮寺にあったと伝える。③東慶寺聖観音像南北朝時代④伊豆・北条寺聖観音像南北朝時代鎌倉・極楽寺より移ったと伝える。⑤平塚・青柳院聖観音像南北朝時代⑥東慶寺水月観音像南北朝時代⑦ いわき・禅長寺観音菩薩像応永十七年(1410)院尊作禅長寺は,建長寺系の中本山として,代々建長寺の西堂が入山した。⑧郡山・駒坂観音堂観音菩薩像室町時代以上の八例を数えることができるが,いわき,郡山は鎌倉文化圏と考えてよいから鎌倉のみにまとまってのこっているといえる。さて,八例の姿勢をみるとI.左足を踏み下げ右足を横にして坐し,右手を腰脇につき,左手を左膝上におく。①②③④⑦ II.左足を踏み下げ右足を横にして坐し,岩上に右臀をついて,左手は左膝上におく。⑤⑥ III.坐形は同様,左手を腰脇について右手は与顧印を結ぶ。⑧さて,この様な観音半珈像は宋風彫刻の典型とされている。宋風という言葉の意味内容については明確でないところも多くあるのであらためて考えてみたい。いわゆる204-
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