明49。書物の挿画が木版から銅版へ,さらに石版へ移行し,最終的には版画が三色版にとって代わられる過程は印刷技術の革新の歴史と緊密に関係している。この関係を理解するために下記の文献資料を収集し,他の文献も参考にして版画と印刷の関係を調査した。小野忠重:印刷美訪問,『印刷界』昭和31,5月号_昭35,2月号連載。(一部は美術出版杜刊『日本の石版画』に再録。)(この書は銅版画家石田旭山が創立した印刷会社が製版用スクリーン製造会社へ成長する過程を旭山の子敬三の伝記と併せて記述したものである。版画工房の変貌を知る具体例となった。)III 大正・昭和戦前期の創作版画の調査と成果長野県須坂市出身の版画家小林朝治(1898-1939)所蔵の版画及び版画誌が須坂市に寄贈されたのを機会に,その調査グループに参加し,これ迄の調査をより充実させることができた。調査研究の成果オリジナル版画を見ることによって明治期の版画について以下の考察ができた。1.近代美術としての版画の出発点を明治末に始まる創作版画運動におくか否かの論議がこれ迄なされてきたが,私見としては,近代版画の出発点を明治初期におくべきであって,明治期の版画を末期浮世絵として扱うべきではない。ただし,「近代」の解釈にはまだ問題が残されている。の一荷い手であった。明治の版画には大衆性がある。問題は大衆美術である版画の芸術的質にある。明治期の木版,銅版,石版画の盛衰の過程は印刷技術の革新と版画工房が印刷会社へと成長する過程に緊密に関係しているからといって,明治の版画史を印刷史,印刷技術史の面からのみ論述するのは片手落ちである。版画の送り手である画家,画工,工房と受け手である大衆,両者の版画に対する認識の変化と2 川田久長:活版印刷史,印刷学会出版部刊,昭56。3 石田敬三翁伝,大日本スクリーン製造株式会社,石田旭山印刷株式会社刊,昭40。1 印刷局沿革録,大蔵省印刷局刊,明36。大蔵省印刷局百年史,大蔵省印刷局刊,2.版画は浮世絵版画の成立事情からしても絵画として,そしで情報として大衆文化209
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