した仏舎利を,また後者の場合は仏教を信仰した被葬者の供養を意図して納められたのであろう。被葬者が仏教と無縁であっても,本来仏具として製作された品が供養のために用いられている場合には研究調査の対象とした。供養具は香・華・燈に関わる道具が基本であるが,7 • 8世紀のわが国においては,仏・菩薩への飲食供養も盛行し,天平時代に録された法隆寺や大安寺などの資財帳によっても知られるように,仏寺では浄瓶をはじめ,日常の生活用具とも関連する鉢・多羅・銑.匙の類が飲食供養具として多数整備された。請来仏具の研究は,彼我の両国に比較検討できる共通遺品が存在してはじめて効果を挙げるわけであり,本研究の調査対象も供養具が中心をなすが,香具では柄香炉と香容器であった塔銃,また飲食供養の用具としては浄瓶(水瓶)に典型となる遣品が比較的多くみられるため,今回はこの三種の供養具を重点的に考察,中間報告とした。0柄香炉仏具としての香炉は,仏前焼香のための火炉にほかならないが,多様な展開をした仏前置用の据香炉に比し,仏教東漸に際してもインド以来の基本形を保ち,わが国に伝えられたのは柄香炉である。柄香炉は携帯を本旨とするところから手炉とも称されるが,台座を備える炉に長柄を装隋するのか基本形式である。柄香炉の先例は2■ 3世紀頃のガンダーラ仏像彫刻中にすでに見出され,柄の尾端が屈曲するだけの極めて単調・素朴な形状であったことを示唆しているが,遺品としてはドイツの東洋学者ル・コックが西域から請来したベルリン東洋博物館の銅製柄香炉(第二次大戦で焼失)が3■ 4世紀頃の作に比定される最古の事例であり,炉と柄の接合部とL字形に屈曲した柄の先端のニヵ所に獅子形の飾り(鎮子)を装着し,炉には蓋を伴う。前者は中国に伝った後は,柄の尾端を鳥の尻尾形に象ったいわゆる鵜尾形柄香炉ヘと展開することになるが,後者は獅子形が一段と精美なものとなった獅子鎮柄香炉の流行を促し,やがて獅子のかわりに瓶状の鎖子を用いた瓶鎮柄香炉を考案することになるのである。また一方では火炉の部分を蓮華に象った連華形柄香炉も隋代頃には出現することになる。したがって柄香炉の諸形式は7世紀までにはほぼ出揃ったというべきであろう。柄香炉の中国における最初の事例は,1968年に江蘇省丹陽県胡橋で出土した型押碑画「羽人戯竜」図にみられる。羽人が所持するこの柄香炉は,蓮華座のある火炉に鶴とうまり-213-
元のページ ../index.html#246