じんね尾を初佛させる柄がつけられている。この碑画は江蘇省内で発見された南京市西菩橋出土の「竹林七賢と栄啓期」礁画など,他の類品との比較から,東晋時代(317■420)の作に比定されるが,現在のところ中国ではこれを遡る柄香炉の資料は見出せない。鳥尾形を呈するこの種の柄香炉の遺品としては,北魏から隋代に至る賂しい遺品を出土した河北省景県封氏墓群発見の柄香炉が古い。柄の先端を鳥の尻尾状に曲げ,炉と接合する部分の柄の上面に二箇の円形飾り鋲を打つのが特徴的である。類似のものは天龍山第二窟の浮彫像に見出され,六朝時代にはすでに流行の形式であったことを物語っている。なおこの形式の柄香炉は,韓国慶州の石窟庵の十大弟子像の持物にもみられ,統一新羅時代の8世紀における半島への伝播のさまを示しているが,法隆寺献納宝物中に飛鳥時代の7世紀に位置づけられる鵜尾形柄香炉が存することを考慮すれば,その時期はさらに遡ることが予想される。一方ル・コック将来品を先例とする獅子鎮形は,遺品に徴する限り中国で盛行するようになるのは唐代になってからであると想定される。の二例はその顕著な事例であるが,特に後者の場合は,被葬者である神会が六祖慧能の法燈を継ぐ禅宗の第七祖として知られ,758年の歿年が明らかなことからも基準作例となる。わが国に伝存する柄香炉の7• 8世紀の遺品としては,いわゆる鵜尾形が東京国立博物館の法隆寺献納宝物中に二柄,正倉院に一柄,大阪・和泉市久保惣記念美術館に一柄,兵庫,個人蔵ーロの計五柄が知られ,いずれも当初のままの良好な保存状態を保っているが,うち法隆寺献納宝物中の鍮石製鍍金柄香炉と正倉院宝物中の赤銅柄香炉(甲)は,いずれも口縁部に鐸を形づくる朝顔形の丈高の炉が特徴的で,二重花形座やその甲面頂上に立てられた炉を支えるための支柱(脚部)の形状も軌を一にしている。この種の丈高な深鉢状火炉は江蘇省胡橋出土の東晋時代型押碍画にも認められるが,わが国でも7世紀中葉頃に位置づけられる法隆寺の玉虫厨子須弥座の舎利供養図で二比丘の持する柄香炉がこの形式であり,より古様であることを示唆している。獅子鎮柄香炉で唐製とされるものでは,白鶴美術館の品が出土品ながら優れた作行を示しているが,奈良時代のものとしている正倉院宝物中の四柄,法隆寺献納宝物中o 1958年湖南省長沙赤峯山二号唐墓出土金銅獅子鎮柄香炉o 1984年河南省洛陽市龍門禅宗七祖荷沢神会墓出土金銅獅子鎮柄香炉-214-
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