つまみの一柄,統一新羅製とされている韓国・湖巌美術館の事例も,形式的には赤峯山唐墓出土品や龍門の禅宗七祖荷沢神会墓出土品と酷似しており,唐製との明確な区別はつけがたい。中でも正倉院の紫檀金細柄香炉は,豪華精妙な加飾技法からみて唐製の可能性が濃厚であり,もしそうであれば他の3例も請来品と考えて不都合ではない。たとえそれらが日本製あるいは新羅製であるにしても,唐製獅子鎮香炉のほとんど直模であることは否定できないであろう。0塔銑台脚を伴う球形合子の蓋部頂上に,相輪形の竺を具した容器。塔銃の名は,天平19具であったと考えられる品々に並記して「合塔銃爪拾騨口」と記されていることに由来するのであろう。ただし用途については詳らかでない。ル・コックがトルファンの西南方,トヨクの千仏洞で発見した同形式の木造址躙彩色合子を,舎利容器として報告しているか,それはこの合子が仏塔を象っており,エ芸的な小塔がインド以来しばしば舎利容器とされてきたからである。経緯の明らかな中国での遺品は,現在までのところ先述の荷沢神会墓から出土した金銅製の事例が知られるのみであるが,これは柄香炉.浄瓶・鉢などの供養具とともに発見されており,供養具とすれば香容器と考えるのが最も適切であろう。神会羞から出土したことにより,唐代の8世紀中頃には通用していたことが知られるが,その形式上の特色や時代性,用途の解明にはより多くの事例が必要であり,今後の発掘成果が侯たれるところである。韓国ではソウルの湖林美術館が所蔵する四重相輪紅の佐波理製塔銃が夙に知られているが,近年七重相輪金暫の金銅塔銑が湖巌美術館に収蔵され,また完器ではないが相輪紅の部分だけが本体から分れて三点伝っているのが興味深い。いずれも統一新羅時代の遺品とされており盛行のさまを窺うことができる。韓国の場合もこれを舎利容器とする説がなされているが確証はない。しかし統一新羅時代の舎利容器の中には壺形や銃形合子の内部に瑠璃製の舎利瓶を籠めて石塔内に安置する例もあり,香容器とされていた塔銃を舎利容器に転用した可能性は十分考えられるであろう。蓼々たる出土事例であるが,塔銃が供養具として西域・中国・朝鮮半島で使用され年(747)に勘録された『大安寺縁起井流記資財帳』に,鉢,続,多羅,飯続など供養215-
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