鹿島美術研究 年報第8号
251/364

かぶらされた形跡は認められないが,大小の違いはあっても形状的には北斉庫秋廻洛墓出土の水瓶と酷似しており,前後する時期に仏具として製作されたものがわが国に請来された後,被葬者の座右置用水差しとして転用され,被葬者の歿後副納された可能性が高い。中国からの直接請来品か朝鮮半島を経由しての請来品かは知る由もないが,百済からの仏教公伝の時期を日本書紀の記す欽明天皇13年(552)のこととすれば,前後する頃に比定される浄瓶であり,供養具として使われたか否かは兎も角,わが国における最古の請来仏具として極めて興味深いものがある。これまで奈良時代の作とされてきたが,請来仏具を考察する上で特に注目されるのは,法隆寺献納宝物中の九口の王子形水瓶である。胴部が卵形となるものと俗に蕪形と称されるものの二様に分けられるが,前者は北斉以来の中国における伝統形式であり,後者をその変化形式とすれば,いずれの場合も中国からの請来仏具の可能性を充分に宿しているといえるであろう。しかし7世紀中葉頃からのわが国での鋳造技術をもってすればその製作は決して不可能ではないし,経験のある帰化工人の指導があれば請来仏具を凌駕することも可能であったに違いない。中には瓶形の金只を蓋に装焙した浄瓶のように,抜群の技個と洗練された形姿を有するものもあり,今後科学的な方法により請来品か本邦製かが明らかにされるならば,この時代のわが国の金工技術を知る上でも大いに役立つであろう。(三)法隆寺伝世の仏具や正倉院南倉に納められた東大寺関係品の中には,仏前に置用し飲食供養のために用いられたと想定される食器類が数多く存在する。それらのほとんどは銅.錫・亜鉛の合金になる佐波理製であるが,類品は三国時代や統一新羅時代の遺蹟からも出土しており両者の密接な関連性を示唆している。天平勝宝4年6月の『買新羅物解』には新羅から購入した23種の品が記されているが,それらの中には五重銑や盤,箸,匙などの金属製食器も含まれており,新羅からの舶載食器がいかに多用されていたかが知られるであろう。したがって請来飲食供養具の研究には韓国での出土品の調査が不可欠である。遺品が多種多様に亘り,また考古学的な考察も必要であるため時日を要するが,それらについては後日を期することにしたい。-218-

元のページ  ../index.html#251

このブックを見る