解釈方法を説いた。そして西洋文化や哲学に造詣の深かった井島教授の様な人物家ではない)が初めて外から見た書への見解や理論を確立したという書道界にとっては大変な貢献であり特筆すべきことである。抽象画家長谷川三郎も初めて「書の美」誌に展覧会の評論と「古い東洋と新しい西洋に関する随想」や「墨美」誌に印象派から二十世紀ヨーロッパ芸術の主な運動の入門書として「現代芸術」を連載したのである。又同誌の須田国太郎等の論文は油絵の線,西洋画空間表現,素抽における空間美,彫刻の空間などに触発され,書家が絵画の技術面,本質面に理解を深め,それらをふまえた上で時の座談会の中心になった欧米作家の作品(その写真)を,書家の眼で鑑賞や批評をしはじめた。ともかく書家が西洋のどんな作品を見ても,その視点は常にその内に書的な要素を掴える。もう一つの意義としては長谷川三郎が強調した次の点がある(墨美16号)。日本の宝物を再評価するためには,異物を見,異文化のもののなかに共通点を発見するのが大切である。例をあげると,モンドリアンの抽象作品を見てから桂離宮の美を解したり,セザンヌを見て雪舟を,マテイスを見て宗達の美を解したと言う。見のがされ,隠された伝統あるいは過去の遺産を見直し,それを基礎にして新しく創造ができるであろう。用語の面でも多少西洋美術学のものが書の世界に取入れられたともいえる。それは昭和前期に始まった現象である。前衛書は,その崩芽を昭和8年,主として比田井天来門下の若い書家によって結成された書道芸術杜にみることができる。機関誌として「書道芸術」を刊行して,中心に上田桑鳩や大沢雅休が新しい書道の展開をめざして多数の論文を発表した。このグループの主張の一つには「創作,臨書,習作方面の研究」かあって,その内容を調べると書と絵画との接近を窺うことができる。「更に進んで自己を通して主観的に臨書して見ることが大切である。之は絵画に於ける写生の如き立場にあると共に最後の目的であるよりよき創作への前提ともなるのである。」戦後の書壇にこのグループのメンバーか多く出世して代表的な書家になったのである。そして,すでに「書道芸術」誌の創刊号(1933)に鮫島看山の筆がローマ字で綴ったDEFORMATIONと言う言葉がみつかる。歪みの意味で「個性の表現は文字の形体筆意共に従来の型に変化を与ふることを要する。」新語を取入れたら,新形になりうるだろう・・・デフォルメと言う言葉自体が現代書の用語となったその証明は東京堂出版社の『書道辞典』(1975)に載せられたのである。用語の変化は意義のある現象である。この面では上田桑鳩が大切な役割を果したと推定できるのではないかと思う。桑鳩は-223-
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