g部は書作家のみならず他の方面の人々も共に活躍して頂けるところであります」。a部の意義は一時文字を廃して,書ではない習作の創産を方法として従来の筆や墨を使用しながら,墨線の可能性の徹底的な実験場という点にある。書の限界を超えるため,進歩派の作家グループ(大沢雅林の平原杜,上田桑鳩の奎星会,そして森田子龍の墨人会,岡部蒼風の草人社等)は従来の書に見られなかった形象,道具と技法を広く実践してみた。ハケ,紙,布などで作った筆,支持体としてキャンバス,ボール紙,洋紙など,墨の代わりには,練り墨,ラッカー,ペンキなどを使い,かたまりや厚みを求めたり,方法も削ったり,彫ったり,切ったり,コラージュの様なものを造って,新しい効果を収めた。造形性,抽象性や視覚性に重点をき,文字性を無視した場合も多く,絵画的な作品が展示された。その中では明かに西洋絵画から得たものあるいはそれとの関連性を窺うことができる。以下の様な作品は,モンドリアン風の縦横構造の中に文字を配列する1950年比田井南谷の「臨書十二種」あるいは1954年日書美展に出品された金子鴎停作もそうである。ポロック独特なドリッピング技法と同じ様な効果を求めた大沢雅休の1953年「黒岳黒諮」がある。それは四つの文字が大きく太い線で書かれ,余白が点々の様な墨のしみに占められている。同じ彼の1953年の「大法無法」の方では細い線で書かれた文字がしみだらけの全面に呑込まれているようである。「高村光太郎詩ーさみしきみち」を書いた大沢竹胎の作品にはポロックのオールオーバーの影靱が窺える。その作品には文字の群が互に寄り添って全面を占め,線の濃密な網をなしている。又,小林龍峰の「調諧」はクレー画風を思い出す。絵画的な要素を示している作品の中では,小川瓦木の1953年「泥胎」で一つの漢字を紙面の下部に横に書き上部を空白にして,効果的な風景に見せている。紙面の縁まで字や象形を施し,書の分間布白を無視している作品も多く,それが絵画的な構成をめざすものであり,いくつかの例があげられる。本報告書には紙面に限りがあるのでこの辺でとどめておくことにするが1952年,ニューヨークで最初の海外書展が開かれ,東西又は内と外との出会いによって現代書家が求めていた書の国際性が実現されたことを記したい。-225
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