鹿島美術研究 年報第8号
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□隻」と読まれた筆者名の墨書を有するという第十三軸勧持品・安楽行品,第二十軸⑬ 富山本法寺蔵法華経曼荼羅について研究者:富山県立大学講師原口志津子研究報告:山県婦負郡八尾町宮腰の本法寺に蔵される「法華経曼荼羅」は,法華経絵としては,一幅の大きさが約190cmX 125cm,全体で二十二幅[内一幅は延宝七年(1679)の補作]という大規模な製作であり,しかも嘉暦元〜三年(1326-28)の年紀を有する貴な作例である。また本法寺では,例年八月初旬二日間にわたり,本曼荼羅図の風入れ法要が行われ,その際本堂において一幅を選んで絵解きが行われており,現在に至るまで絵解きの習慣を伝える点においても貴重である。本作品は,海中出現の伝承を持つが,伝承の典拠となっているのは,宝暦十二年(1762)本法寺より板行された「海中出現法華経廿八品図只略縁起」と放生津(現・新湊市)曼荼羅寺に伝わる文政八年(1825)聴誉上人筆写「当山起立の由来」の2つの近世史料である。この2者はかなりの異同をもつが,本作品が十四世紀初頭[本法寺史料では正中年間(1324-26),曼荼羅寺史料では延慶元年(1308)],放生津の海中より引き上げた大木の中から発見されたという部分が一致している。伝承の年号は,作品中の年紀とは圃甑をきたすが,本作品が十四世紀初頭,遠隔の地より当地にもたらされたものであることを示唆するものと思われる。本作品を現有する本法寺は,永仁六年(1298)に越後・た日印聖人に帰伏した元天台僧・日順によって,正和五年(1316)開山された。寺伝によれば本作品の勧進僧として銘に見える浄信と日順は同一人であるというが,この銘以外に浄信の事績は知られていない。本作品は,このように伝来に関し,いくつかの問題点を含み,またあまりに大規模な制作にかかるために,同一主題においては類品を見い出し難いことから,むしろ当代の絵巻作品などとのモチーフ比較,様式比較を行うことが必要であるように思われた。ところで,今回,本法寺および本法寺国宝護持会の御高配を賜り,全二十二幅の内から,特に白念坊如電(「法華経二十八品の曼陀羅を観て」『絵画叢誌』153巻,明治二十二年)と中坪久ー(『富山教育』昭和七年)によって,それぞれ「画工堪明」「画工普門品の光学的調査を許された。モチーフ及び様式比較その他は,全幅の調査を終え(本成寺)を開い-226-

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