鹿島美術研究 年報第8号
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⑭ 額装本華厳五十五所絵の絵画史的意義研究者:文化庁文化財保護部美術工芸課文部技官小林達朗研究報告:額装本華厳五十五所絵は,富豪の家に生れた善財童子が,文殊菩薩の勧めに従って善知識五十三人を訪ね,ついに普賢菩薩の所に至っで悟りに達するという『華厳教』入法界品に説かれた物語を現在額装となっている一面あたりー場面ずつ描いた,平安時代後期の作品である。当初は五十四面猫かれたと考えられるが,これまで知られていたのは,東大寺,根津美術館,藤田美術館などに分蔵される十九面である。この額装本については,今までにいくつもの紹介や論考がなされてきたが,それらの中で常に特筆されてきたことは,現在に残る十九面の中でさえも画風が実に多様であることである。それは作品の構図法,筆致,技法,また画賛の書き方や内容など形式的な面など多岐にわたっていて,そのタイプを明確に分類することさえ容易ではない。そしてまたこの作風の多様さが,額装本の絵画史上における位置づけを難しくしており,これまでに明確な見解が得られているとはいいがたい。ところで,昭和63年に,これまでほとんど知られることのなかった額装本のひとつがアメリカの個人から国(文化庁)に買い取られた。図は,巻子装の紙本著色華厳五十五所絵(重文)との図様の類似性からみて,第五十一,および五十二善知識の場面とみられるもので,現在やはり額装となっている。この一面は,これまで知られていた東大寺他分蔵の十九面(以下便宣的に東大寺本とする)に一見相似た画風ではあるが,東大寺本具がちの彩色や軽快な描写表現がしばしばみられるのに対して文化庁の一面にはより明快な彩色や沈潜化した描写があることから,東大寺本よりやや時代の下る別の1セットの1図ではないかとする意見もある。今回の研究は,この新出の1面を詳しく調査し,紹介を行うことに重点を置き,その過程で必要となる他の額装本との比較を通して,額装本全体の理解が深まることを期待するものである。さて,この新しく文化庁に入った1面は,かつて原富太郎氏所蔵のものであったことが知られるが,第2次大戦直後にアメリカに流出したものらしい。画面中央に,向かって右方を向く童子と童女が立ち,その背後には衝立が置かれ,-230

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