に隈取りがなされる。描き起しは肥痩の少ない墨線によって丁寧に行なわれる。断片を用いた金箔の使用はないかわりに,一見しただけでは気付かないほどの金泥や銀泥が細部の文様表現に用いられている。さらに大天神の肉身や天衣,堅固解脱長者の床坐の網代編み,遍友童子図中の善財童子の裳などには白色顔料の裏彩色が施されている。技法においてこのような相違をみせる2つのタイプは,画面構成においても違いがあり,前者がそれぞれのモチーフを小さく描きまた動きがあるのに対し,後者は前者に比べて人物を大きく描きまた動きの少ないものになっているのである。この後者の特徴は,すべて文化庁本についてもあてはまる。個別的な細部に着目しても,文化庁本の徳生菫子の抱に表された撫子文の,白の花弁の中心に朱と白群を点ずる手法と堅国解脱長者の衣文の撫子文の表現の同じ手法,有徳童女の檻蟷衣の各所にみられる金泥の文様と遍友童子図の樹幹や童子の抱の文様に使われる金泥の色あいや一見しただけでは目立たない使用法などに,単なる形状の共通以上の方法的,技巧的な強い共通性がみられるのである。画絹に着目すると,東大寺本,文化庁本ともに5ミリ四方中緯糸9■11本,経糸15■18本で,緯糸が太く撚れが著し〈,経糸は細く2本が1束となっており,さらにこの経糸の弱さのために各所で欠失し緯糸のみが残るという劣化のしかたまでが非常によく似ているなど,ほとんど差異が認められず,画絹は同じものとみられる。以上のような共通性から,文化庁本は東大寺本と一具のもの,なかでも大天神,固解脱長者,遍友童子の一群の図に近いものと考えられた。文化庁本を軸として,現存する他の額装本を額察することにより,額装本の多様性を技法的な面からより具体的に理解することができたが,ではこのような画風の多様性はどこからきたものであろうか。この多様性の説明として,いくつかの時期にわたって失なわれた図を補なった結果であろうとする説もあったが,前述の画絹の観察かやは,今回実見でた9面については,画風が違うにもかかわらず,すべて同じものとみられた。一見絹の精粗があるように見えるものもあるが,保存状態の違いのために画絹が部分的に縦方向に伸びていることも多く,絹本来の相違があるとは考えられない。したがって,前述の第1タイプと第2タイプは同時に制作されたと考えるのが自然である。額装本の画風の多様性には,絵画的時代性のちがいをみることができるように思わ232-
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