_宗教的プロパガンダとしてのインプレーサー一一研究者:富山大学人文学部講師岩井瑞枝研究報告:リヨンで1571年に初版が刊行されたこの『寓意図集』(EMBLEMES,/OV DEVISES/ は,1620年までに5版を重ね,オリジナルのフランス語版以外に,ラテン語,スペイン語.イタリア謡ドイツ謡英語,フラマン語に翻訳されており,かなり広範囲の読者の眼に触れたことは疑いないと思われる。百点の寓意図(インプレーサ)は,各々上部が銘文を伴うビュラン彫り版画,下部の女王ジャンヌ・ダルブレ(後のフランス国王アンリ4世の母)の宮廷に仕えたジョルジェット・ド・モントネー(1540-v.1581)という謎の多い女流詩人である。作品が出版された翌年には,<聖バルトロマイの日の大虐殺〉に触発されてフランスは全面的な宗教戦争の時代に突入するわけであるが,すでに晩年にプロテスタントを弾圧したアンリ2世の時代から,改革派の思想家,文人らが,偽名を用いたり出版地を偽装したりすることは稀ではなくなっていた。モントネー自身は,ジャンヌ・ダルブレヘの献辞の中で,<インプレーサ文学〉の先駆者アンドレア・アルチアートの『エンブレマータ』(1531)に倣って創作を試みたのだと控え目に叙べているのみであるが,1560年代に制作されたこの作品には,これまでに指摘されているよりも遥かに強烈なカトリック側への攻撃が寓意として仕組まれている。百点のインプレーサの寓意的意味は,当時の緊迫した政治情勢に鑑みて解釈されねばならないわけであり,ジョルジェット・ド・モントネーなる女性の背後に改革派の政治的意図が潜んでいた事実は否定し得ないであろう。しかし本研究は,その具体的な影響関係を解明するというよりも,むしろ宗教的,政治的情念の操作において,表現手段としてのインプレーサが如何なる役割を果たし得たか,あるいは果たすことを望まれていたかという疑問に対し,多少なりとも考察を進めることを目的としている。各々のインプレーサの上部を占めるビュラン彫り版画を制作したのは,ロレーヌ出身のピエール・ヴォエリオ(1532-1596)であった。風変わりで端麗な彼のビュランが,⑮ 『ジョルジェット・モントネーのキリスト教的百寓意図集』(1571)が8行詩によって構成されている。詩の作者は,プロテスタントの先鋒,ナヴァールCHRESTIEN -/NES. /Composees par Damoiselle/GEORGETTE DE MONTENAY. / A LYON/par Jean Marcorelle. /M. D. LXXI. / Auec Priuilege) -234-
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