鹿島美術研究 年報第8号
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(1) 調査研究2.美術に関する国際交流の援助① 吉田博のアメリカにおける業績と足跡-1950,明治9一昭和25)が初めてアメリカを訪れたのは,明治32(1899)年,23歳研究者:福岡市美術館安永幸一研究報田吉田博のアメリカの旅福岡県久留米市出身の洋画家・木版画家で,太平洋画会の創立会員である吉田博(1876の時である。不同舎時代の朋友,中川八郎との二人旅で,デトロイトを皮切りに,ボストン,ワシントン,プロヴィデンスの各地で“二人展”を開催し,思わぬ大成功を収めた。二人は翌年の夏にヨーロッパに向い,折から開催中のパリ万国博覧会を見学(吉田博は同博覧会に自作を出品,褒状受賞)した後,ドイツ,スイスを歴訪中に,不同舎の仲間である満谷国四郎,河合新蔵,鹿子木孟郎,丸山晩霞の4名がアメリカを訪問するとの報に接し,再びアメリカヘ急ぎ戻ることになる。ボストンで彼等と合流した後,同年末には吉田博のコネで,ボストンでの6人による「日本画家水彩画展」が実現し,再び大成功を収める。以後,プロヴィデンスとワシントンでも6人展を開催し,いずれも成功裡に終る。ヨーロッパに向う4名と別れて吉田・中川の2名が帰国したのは明治34(1901)年の夏。田博の2回目の渡米は,その翌々年(明治36)で,この時は義妹の吉田ふじを(後の吉田博夫人)を伴っての旅であった。約2年半にわたる長い滞米中に,プロヴィデンスを皮切りに,ウースター,ポートケット,ボストン,スプリングフィールド,バシカゴ,クリーヴランド,ピッツバーグ,ニューヨーク,フィラデルフィア,バークシャイヤー,ワシントン,そして最後に再びボストンと,東海岸の重要な都市で次々に“兄妹二人展”を開催し,前回の訪米時にもまして,各地で大成功を収めた。どこに行っても“兄妹画家”として当地の新聞各紙に書きたてられ,市民からもてはやされて,作品は飛ぶように売れたという。兄妹がヨーロッパをまわって帰国したのは明治40(1907)年の夏。博の3度目の渡米は大正12(1923)年。この時は,関東大霰災を被災した太平洋画_238-

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