鹿島美術研究 年報第8号
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Detroit Free Press, The Detroit Tribune, Detroit News-Tribuneなどの各紙に再会会員を救済するための作品販売が主目的(博がその責任者に任じられた)で,ボストンを本拠にしてフィラデルフィアやデトロイトなどで展覧会を開催したが,前2回ほどには成功しなかった。翌々年に帰国。図調査の目的今回の「吉田博のアメリカにおける業績と足跡調査」は,第1回目と第2回目の渡米時の各展覧会場の確認と新資料探査,および作品探査が主目的で,併せて,成功の秘密や原因をさぐることも重要な関心であった。特に,博の現存する作品が,明治40年の文展以後のものに集中し,それ以前の作品がほとんど残存していない現状を考えると,この渡米時にアメリカで売られた作品がもし残存しているとすれば,彼の初期の作風を知る上で極めて重要なのである。固初めての都市デトロイトでの大成功田博のアメリカでの成功のきっかけは,第1回目の時に初めて訪れたデトロイトでの思いがけない大成功にあると断言してよい。もともと,横浜で知りあったアメリカのコレクター,フリーヤ氏(CharlesL. Freer)をデトロイトの自宅に訪ねることがデトロイト訪問の目的であった。しかし,フリーヤ氏が長期出張だったため目的は果せず,仕方なく,たまたま訪れたデトロイト美術館で,全く偶然に運が開けることになるのだが,これまでの資料では,その間のいきさつや“大成功”なるものの実態が全く不明であった。ところが,今回の調査で,デトロイト美術館資料室から1899年10月の最初の“二人展”の詳細なドキュメントを発見することができ,この聞の事情がかなり明確になった。今回のアメリカ調査の大きな収穫の一つである。以下はこのドキュメントの内容についての概略である。まず,多数の当時の新聞記事。TheDetroit Journal, The Evening News, The 三掲載された関係記事が,当時のデトロイトでの関心の高さを示している。これらの記事の中で特筆すべきは,TheEvening Newsの1899年10月21日付の記事で,「奇妙な訪問者」と題する長いレポートには,どういういきさつでデトロイト美術館での“二人展”が実現することになったのか,という事情が語られていて,今までの謎が一挙に解明されている。長くなるのでとても詳細には述べ得ないが,吉田博と中川八郎の二人が,展示作品の摸写を目的に美術館に行ったこと,言葉が不自由なた-239-

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