鹿島美術研究 年報第8号
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Japan"(水彩の大作)が現在もデトロイト美術館に収蔵されていたことである。この400ドルが上のせされたか?),美術館に寄贈された,と記されている。吉田博の初期22点,ふじを17点),金額合計1,475ドル(博1,070ドル,ふじを405ドル)となっておめ受付でゴタゴタして,とうとう館長のグリフィス氏がお出ましになったこと,彼の案内でギャラリーに連れて行かれたこと,そこで吉田博がおずおずと「我々の作品を見てくれませんか」と申し出たこと,二人の作品を見たグリフィス館長が驚嘆して展覧会の話を持ちかけたこと,などが面白おかしく語られている。次は作品の売上げ実績である。吉田博が受領のサインをした売上げ明細領収書が残っており,“大成功”なるものの実態がはっきりと把握できるのである。それによると,全出品作は120点(吉田博92点,中川八郎25点,同僚の丸山晩霞3点)で,売れたのが全部で40点。最低5ドルから最高100ドルまでの合計が834ドルに達している。この中で吉田博は33点の664ドル,中川八郎は7点の170ドル,丸山晩霞は0。さらに,この総売上げから81ドル強がコミッションとして引かれた上に,400ドルの諸経費(額縁代やカタログ印刷費,パーティ費用など)がさし引かれ,最終的には,ニ人に352ドルが支払われたことがわかる。この金額の価値についてはもう少し研究する必要があるが,1900年当時のオーダーの男性上下スーツが18ドル,男物革靴が5ドルだったことを考えれば,相当の額であったことは想像にかたくない。デトロイト調査の最後の収穫は,この時の最も人気が高かった作品“Memoriesof 作品はデトロイト市民有志の500ドルの寄付で購入され(実際には100ドル。諸経費のの水彩画としては非常に貰重な作例で,これより8年後になる第1回文展時の作品よりもさらに色調は暗く,いまだ日本のヤニ派の伝統から抜け切れていない感はするものの,その優雅な表現は東洋の神秘性を感じさせ,当時のアメリカ人たちの東洋趣味・日本趣味に合致したことがよくわかる。困プロヴィデンスでの成功デンスのRhodeIsland School of Designでの「兄妹2人展」(1904年2月)が極めて興味深い。この新資料も,今回の調査で偶然に美術館(この美術学校の附属美術館として現在は独立している)の資料室で発見したもので,当時の出品作品リーフレットにメモが書き込まれている貴重なドキュメントである。それによると,兄妹仲良く75点づつ150点出品した中で,売れたのは全部で39点(博第2回目渡米の“兄妹ツアー”のドキュメントとしては,そのを飾るプロヴィ-240

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