Rhode Island School of Designには,この部屋でやった,という古い部屋がそのま(1905年12月)も,当時の面影そのままに今も活動をしているのである。特に後者は,のHaseltineArt Galleries(建物は残っているか,今は雑貨屋)などは,昔を偲ぶより,デトロイトでの約2倍にものぼっている(ちなみに,前記デトロイトのあと,ボストンで開催した吉田・中川二人展では売上げが約3,000ドルに達した,という当時の新聞記事がある)。今回の調査の中で,特にプロヴィデンスでの印象が深かったのは,この新資料の発見の他に,当時の展覧会場がそのまま残っている珍しいケースだったからでもある。ま今もあり,また,もう1つのプロヴィデンスでの開催会場であるProvidenceArt Club 当時の“ArtClub"なるものの一つの典型だそうで,今はなきBostonArt Clubもさぞやかくありなん,と想像させる,ある種の懐かしさをとどめていた。このプロヴィデンスの2つの施設が特に印象深かった理由は,今回調査した他の都市の開催画廊か,今はほとんど姿を消してしまっているからでもある。ボストンのBostonArt Club Gallery, Galleries of Walter Kimball & Co.(両方とも建物もなし),Doll& Richards Galleries(建物はあるが今は出版杜になっている),ニューヨークのClausenArt Gallery(建物は残っている),フィラデルフィアすがもなく,まして新賽料の発見もなかった。大変残念である。ただ,クリーヴラントのClevelandSchool of Artのように,昔の建物をこわして新しい場所に新しい建物で今も存続している例はあるが,やはり移転のため,新しい発見は何もなかった。(しかし,この美術学校に隣接するクリーヴランド美術館の収蔵庫で吉田博の日本画2点を発見できたのは望外の収穫であった。)匿むすび以下,今回の調査で新たに気がついたり,助言を受けたことについて,いくつか列しておきたい。その一つは,吉田博のしたたかな戦略家として資質の発見である。今回訪問したフェラデルフィアやクリーヴランド,デトロイトは,現在のアメリカでは最も凋落した都市の代表とも言えるものだが,当時は全米の中でも鉄鋼や自動車の街として最も栄していた都市である。当然お金持ちやコレクターもたくさんいたわけで,彼はそういう都市をねらって展覧会を開催して行ったと思われる。また,ボストンは当時の日本熱のメッカであった。このように考えてくると,無謀にも,単に冒険心のみで片道-241
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