② ベネチア北斎会議における発表研究者:東京大学文学部教授研究報告:れた。単独の日本人画家を話題とする会議が開かれたのは恐らくこれが最初であろう。会議は,欧,米,日からそれぞれ5名づつの報告が割り当てられ,日本からは瀬木慎ー,小林忠,河合正朝,岡本祐美の諸氏および私が報告し,ほかに大型連休を利用しての,「応援団」若干名が参加した。メイン・トピックは,研究者を悩ます北斎の肉筆画の鑑識の問題に置かれ,私は次のような要旨の発表をした。狭い裏長家を転々としていたと伝えられる北斎だが,実際には手間のかかる大作や細密拙写を手助けする弟子たちが大勢いた。娘のお栄もそのひとりである。北斎のホンモノとニセモノの間に「北斎プロダクション」による大量の作品群があり,それらを十把ーからげにしてニセモノ扱いにするのは誤りだ。最近発見され話題となった西新井大師総持寺の「弘法大師修法図」は,北斎ならではの凄まじい幻想画だが,デッサンは崩れている。これなど「北斎プロ」の作品と見てはどうか……。この「弘法大師修法図」を専らとりあげたのは主催機関であるベネチア大学のカルザ教授だった。同氏は画風を詳細に分析し,失われた北斎の原図のコピーと断じた。いささかきびしすぎる結論のように私には思えたが,さすが美術史学の本場だけに,結論を樽く方法は論理的で説得力があった。日本ではこうした議論は,所有者や発見者に遠慮して奥歯にもののはさまった言い方になるか,さもなくば感情的な水掛け論になるか,いずれにせよ,あまりうまくはゆかぬものだが,こちらでは堂々とやるものらしい。イタリア人はルーズだという我々の先入観をよそに,会議はてきばきと運営された。会議場にはベネチア大学のロココ風の華麗な講堂があてられ,チントレットの名画で飾られたスクオーラ・ディ・サン・ロッコのホールで歓迎パーティが開かれビバルディが演奏された。東欧も含めた各地から思いがけない北斎の傑作,ニセモノがつぎつぎと紹介され,会議は終始盛況だった。ハーバード大学のローゼンフィルド教授のしめくくりの挨拶は,極めてヒューマンでありながら同時に複雑な多面性を持つ北斎の人柄とその芸術の普遍的魅力を熱弁して印象的だった。これをきっかけに二回,三回と北斎シンポジウムを続けていこうと教授は提案もした。1990年5月2日から5日にかけて,水の都ベネチアで,北斎のシンポジウムが催さ辻惟雄-252-
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