鹿島美術研究 年報第8号
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つ。*スライド左右小布施の屋台天井画ーー「怒頭図」左男波右女波*スライド左龍図*スライド右鳳凰図北斎は1844年・1855年の二回にわたり,長野県の小布施に旅行しました。このときの北斎の制作と伝えられる祭り屋台の濃彩天井画4面の筆者の問題については,瀬木慎一氏が発表されることになっています。私の見解をここでちょっと述べさせていただくならば,これも北斎とその弟子による工房作と考えてよいと思います。図様は疑いなく北斎によるものでしょう。4面のうち,男波とよばれている一面が,緊張感ある構成をもっていて,4面のなかでもっとも力強いものですが,私はこれなど,北斎自身か,実際の制作にタッチしているのではないかと思います。エンジェルなど,西洋の文様をとりいれた縁の装飾文様は,かれを小布施に招いた高井鴻山が北斎の下図によって仕上げたと考えられます。しかし,北斎,鴻山の二人だけで,これら4面を制作したとは考えにくいでしょう。記録には,残りませんか,85歳の北斎は,小布施に恐らく娘のお栄をつれていったと私は思います。*スライド左鳳凰図屏風(ボストン美術館)*スライド右同部分カルロ・カルサ教授の報告によって注目を集めたこの横に長い小さな屏風を,私は昨年秋,調査することができました。たしかにこれは,緊張したフォルムをもつすぐれた作品です。左下の縁に切り抜いて貼ってある,楷書で書かれた丁京な署名も,北斎自筆とみてよいものでしょう。これによると北斎76歳の時にかれ自身によって製作されたことになります。しかしながら,この屏風は,ZoneA, Zone Bに収めるより,ZoneCのなかに置くべきでしょう。なぜなら,その強烈な色彩を施した装飾性の強い作風は,いま工房作としてあげた小布施の屋台天井画と同類だからです。一部に洋風の陰影法を用いた点も同じです。*スライド左弘法大師修法図額西新井大師総持寺この大きな絵馬は,最近永田生慈氏によって発見され話題となりました。この作品にこもるふしぎな妖気とドラマチックな迫力は,北斎の想像力をまたねば実現できない性質のものです。しかし,この大画面の実際の製作に,北斎自身が,タッチしているかは,疑問です。なぜならこの絵のデッサンの崩れは,デッサンの天才である北斎には考えにくいことだからです。この絵馬もまた,北斎工房の製作と見るべきでしょ-257-

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