こうした工房作が配置されるZoneCの外側の環が,ZoneDです。ここは,<北斎筆でない北斎の作品〉が置かれる場所です。完全なニセモノはしかしながらここにおかれず,さらに外側のZoneEにおかれます。ZoneDには北斎の弟子による代筆が入ります。代筆作は,これも工房作の一種とみなせば,むしろZoneCに入れたほうがよいかも知れません。代筆かにせものかは,つまりは,北斎がそれを代作として認めていたかどうかによって区別されるのですが,区別は実際のところむづかしい問題です。北斎にそれを聞くことは出来ませんから……。*スライド左波岸図(フリーア美術館)スライド右富士と牧童(フリーア)これらは,私の判断では弟子の代筆とみてよい例です。*スライド左花鳥図挿絵貼屏風(フリーア美術館)これは,無落款の北斎スタイルによる作品です。その薄く鋭いかたちの感覚は,あきらかに北斎とはちがう特色をもっています。私はこの作品の筆者を北鶴(ほくが)とみなします。北鶴は,*スライド左右「花鳥画冊」(フリーア美術館)によってその存在を知ることができる北斎派の画家です。この作品とさきの無落款の屏風とを比べると,作風の特徴が非常によく似ていることがわかります。*スライド左右龍,人物,烏などを描いた,無款の二曲屏風(フリーア美術館)これも画風の特徴から推して,北乳鳥の筆と思われます。こうした無落款の作品が,どのような動機で描かれたのか,は謎ですが,すくなくとも北斎のにせものをこしらえようとしたのではないでしょう。こうした作品もZoneDに入れることができます。以上,北斎の肉筆画の鑑識に関するさまざまな問題を,工房作の問題を中心において検討してみました。北斎は,近代以前の日本人の画家のなかでは,まれにみる自我意識の強い,独立心にとんだ,芸術家気質の持ち主であり,それが西洋人の共感を呼んだ面があるとおもいます。しかし,実際には,かれの身分は,職人に近いものであり,何人もの弟子を率いて作業を請け負う棟梁という側面をもっていました。日本の画家達は,古くからそうした工房の経営者という性格を持っており,工房作の問題は,単に北斎だけの問題ではありません。だがしかし,北斎の場合,かれは一体どのようにして,大勢の弟子をつくり,かれらに絵を教えたのでしょうか?どのようなかたちで,弟子たちとworkshopをつくっ-258
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