鹿島美術研究 年報第8号
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ていたのでしょうか?*スライド左北斎仮宅図最初に紹介した,晩年の北斎の貧しい孤独な製作の有様は,そのことの想像を極度に困難にします。北斎工房の実態は謎に包まれています。しかしあったに違いありません。生涯に90回も引っ越したというかれの住まいは,たいていこのように狭いものでした。だがそのなかには,49歳のときに建てた亀沢町の新宅のように,新築披露までしたような立派なものもたまにはあったようです。協同作業がどうしても必要な場合は,臨時に少し広い家や寺の一室を借りる,といったこともあったのではないでしょうか。*スライド五姓田義松筆家族制作の図これは,明治の洋画家五姓田義松の描いた,自宅での,家族や門弟の協同制作のありさまです。かれは洋画家なのですが,皆が制作しているのは日本画のようです。北斎がなくなって40年後のころにあたるのですが,ここにえがかれている光景は,案外,北斎とその家族一ー娘のお栄,お辰や身近な門弟一ーが協同作業にはげむ有様を想像する材料として有効なのではないでしょうか。御静聴有難うございました。-259

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