5)殉教者記念堂(?)6)聖堂Nアプスの裏側に接して南北方向の壁があり,それに対面してニッチや小窓の並ぶ壁が建つ。このふたつの壁の間にはヴォールトがかかっていたことがわかる。この東壁の中央のニッチ内から人間の下顎骨が出土した。この壁から通路を隔ててさらに東側に,小さな礼拝堂らしい建築物がある。この北側の壁面(4)は,より古い壁面の上に重ねて設けられており,上の壁の欠落部分には古い壁面上に数人の人物を描いたフレスコ画が見られる。露出部分のフレスコの状態はよくないが,上の壁に覆われた部分には,よりよい状態のフレスコ画が残っていると思われる。この礼拝堂の北西を起点として,ヴォールト天井を持つ幅2メートル余りの通路が,北東方向に斜面を下りながら続いている。通路の長さは200メートル以上に及ぶ。通路の起点など数箇所にドームやセミドームがかかる。東に進むにつれて天井はほとんど崩壊していく。通路の両側には数メートルの間隔をおいてアーチ形の開口部がある。4)宮殿(?)通路の東端には,大規模な建物の遺構がある。この建物は破壊が著しく,壁体の石材が一面に堆梢し,プランを正確に判定するのは容易ではない。聖堂を思わせる痕跡はなく,宮殿など世俗の大建築物であった可能性が高い。遣構の中央近くに貯水槽または泉らしい大きな穴があり,その付近に幾何学文様の舗床モザイクが広範囲にほどこされていることが確認された。大理石製のコラムや柱頭なども見られた。この建築の形状や機能を確定するためには,本格的な発掘が必要である。この宮殿の東側,ほど近いところに小堂がある。中央部は1辺が2メートルあまりのほぼ正方形の部屋で,ドームの天井がかかる。この南北に,各2メートルほどの長さの,ヴォールト天井の袖廊が突き出している。内部に装飾や石棺などはないが,殉教者記念堂,あるいは高位の人物の墳墓と推定される。島を西に戻り,聖堂IIIの北方あたり,山の中腹に,東西約10メートル,南北約7メートルの小規模な聖堂がある。西堂は石積みで,その南側の約三分の二程度が残存するのみだが,最上部に十字架形の開口部,その下にアーチ形の窓が残っている。南壁は岩盤の掘り抜きで,その他の部分が石積みであったようだが,その他の部分268
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