ってさらに堅固なものとなり得る。濱口氏は映画「バックマン家の人々」の詳細な分析を通じて,そこで表されているイメージが,アメリカの家庭の様々な側面を反映させていると同時に,かなり新しい,望ましい形での父親像を伝えていると述べた。多くの人々にイメージを伝えるメディアとして他にデザインがある。杉本清氏はアメリカン・スタイルの根底に流れていた概念として「ジェネラル」,「スタンダード」を挙げ,生活用具に見るアメリカン・スタイルをスライドを用いることによってわかりやすく説明してくれた。また90年代に向けて「アノニマス性」からの脱皮が目指され,企業のイメージであるCIが希求されている点,またグローバル杜会において,アメリカン・イメージを生み出す主体がアジアに移行しつつあるといった興味深い点か指摘された。イメージ自体は観念的であり,実体を持たない。また,イメージは三次元ではなく二次元的である。従ってイメージは写真にかなり近いと言える。最初は観念的なアイデンティティであったものか,その領域が不確かになるにつれて,写真の主題として肉体の限界的な状況を取り込んでいくようになる。『アメリカン・イメージ』の著者である伊藤俊治氏は,アメリカの写真の魅力となっている,写真の表厨性とそのような状況との緊張感を余すところなくわれわれに伝えてくれた。特に70年代以降,シンディ・シャーマンやロバート・メイプルソープは,分裂した自己のイメージや物質的な身体を写真の中に定着させるという作業を頻繁におこなっているか,そこに見い出される極度の緊張は,まさにアメリカン・イメージの特徴となり得ているのではなかろうか。伊藤氏は,イメージそのもので自律してしまうような領域が確かに存在しているのであり,そのことこそがアメリカのリアリティであることを示唆した。以上の発表の後,会場からの質疑応答を含めた,全パネリストによる討論会かおこなわれ,活発な議論がかわされた。283-
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