鹿島美術研究 年報第8号
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2.敷桁すれば,当時の正統的な源氏解釈をうけつぐ人物にきわめて近い環境のな3.検討した2種の作例のモチーフは,いずれも本文や注釈書に登場する和歌ない4.図様の成立ち。図様を検討していくと,物語のなかの異なった時間に属するモ以上のように宗達派の図様を検討した結果,つぎのような推測をおこなった。1.宗達派の作例には,土佐派などの作例とくらべ,著しく図様の相違する例が少なくない。しかし,そうした違いを物語からの逸脱として評価することはできない。むしろ,室町時代中期以降の源氏解釈の指標となる注釈書類との対応関係がみとめられる。しかも,これらの注釈書の源氏解釈は当時の主流,オーソドックスな解釈である。かで宗達派の図様か生まれた,と想像することも十分可能である。『御湯殿上日記』の永禄3年(1560)7月から12月にかけて,土佐光茂が葵の巻の車争いの屏風を制作する様子をつたえる記事がみられるが,このとき三条西公条らが下図の批評をおこなっているのも,制作環境を考えるうえで参考になるだろう。ただ,こうした創造の場に制作者と依頼者,鑑質者がともにかかわったのか,あるいは,制作者は当時の源氏物語をめぐる環境の埒外にあって,もっばら依頼者の要求に応える立場にあったのかを判断することはむずかしい。宗達の制作環境を具体的に考えることは今後の課題としたい。し詩に関連している。また,葵の巻の「髪そぎ」,夕顔の巻の「みたけそうじ」が『連珠合璧集』の源氏寄合にみられることを考え合せると,図様と和歌・連歌との関連が推測できる。あるいは,この辺に図様の生みだされた理由が求められるのではないだろうか。チーフが同一画面に描かれる場合がしばしばある。いわゆる「異時同図」である。こうして例外視するのは,線的にながれる物語の時間の一瞬を切りとった「場面」として図様を概念化するためである。「異時同図」という例外を認める以上,この考え方では図様の成立ちを説明しきれない。そこで,「場面」として図様を概念化すること自体が誤りであると考え,図様と連歌の寄合との関連に注目した。1)図様は,寄合に相当するモチーフが網目状に結合した構造をもっており,2)こうした構造が鑑賞者に巻の内容を特定させる働きをしている,と推測した。この構造は,物語の時間の経過にかかわらないから,「異時同図」と呼ぶような場合もこの構造に矛盾しない。こうした検討は,源氏物語にかぎらず,説話・物語の絵画化についての一般問題を考えるう293-

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