鹿島美術研究 年報第8号
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タピスリーの,シンメトリーに近い構成をもつ幾何学的形態とは違って,この挿絵に用いられているのは,不規則な曲線の輪郭を持った,植物を思わせるような有機的な形態である。そしてこの形態が1918年の秋から翌年の春にかけて木製レリーフにも用いられていることは,展覧会のパンフレットの序文や雑誌に掲載された他者の評言から確認することができる。アルプは1914年の夏からほぼ一年間パリに滞在し,ピカソやアポリネールなど当地の前衛美術の主導者たちと交流をもった。この間に彼はピカソのコンストラクションの存在を知ったに違いないが,アルプが1918年の後半から発表を始めた木製レリーフの制作の動機を,ピカソの影評のみによって説明するのは十分ではない。おそらく最も大きな動機は,彼が自分の芸術に自然とのより親密な関係を求めるようになったことであろう。1918年に公にされた幾何学的形態から暗示力に富んだ有機的形態への転向には,自然の外観を模倣するのではなく,自然の本賀である生命力を作品に与えようという謡志をうかがうことかできる。そして彼はこの新しい形態とともに,作品と自然との繋がりを端的に表わす木という素材を用いたコラージュ,すなわち木製レリーフという形式を見出したのではないかと思われる。第二は,アルプの作品における形態とイメージの問題である。地と図が複雑に錯綜した彼の作品の形態は1920年代の初めには次第に単純化され,明瞭な輪郭線をもった記号的な形態となり,個々の形態には「}l脅」「ひげ」「鼻」などの人体の部分や「時計」「帽子」「フォーク」などの日用品の名前か与えられる。1920年代のレリーフ作品はこれらの形態を複数組み合わせて作られる。注目されるのはそれらの形態が一義的なものではなく,いくつものイメージを喚起するものであること,そしてそれぞれの形態が別の新しい形態へと変容する可能性をはらんでいることである。筆者はこのような観点に立って1920年代の作品のいくつかを考察しているが,具体的な内容については別の機会にあらためて述べることとしたい。第三は,作品制作の方法としての偶然性という問題である。デュシャンの1913年における『停止原基』の制作をはじめとして,ェルンストのフロッタージュやデカルコマニーの技法,マッソンの自動記述的ドローイングなど,20世紀の美術においては,作者の予期しえない偶然の作用を制作の過程にとりこむことがしばしば試みられた。その背景には,西洋文明の進歩を支えてきた人間の意識や理性に対する全面的な信頼の崩壊と,そこから生じた芸術観の転換がある。すなわち,作品を生み出すのは現実313-

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