に存在するモデルでもなく作家があらかじめ頭に描く概念でもなく,制作の行為そのものであり,作家が素材に対峙する制作の過程において次々と発生する出来事に他ならないという,作品についての新しい観念がある。とはいえ,作家の意識を完全に排除してまったくの偶然のみに拠って芸術作品をつくることは不可能であり,少なくともある種の選択はつねに作家の意識によってなされなくてはならない。上にあげた作家たちも制作の出発点あるいは途上の偶然に要素を受け入れながら,その結果をさらに意識のコントロールのもとに変形させることによって作品をつくりあげた。アルプも実制作においては上記の作家たちとある程度共通する姿勢を持っていたが,彼は「偶然の法則」を「他のあらゆる法則を内包する至上の法則」と呼び,単に方法論としてでなく芸術理念と自然観において偶然の力に極めて大きな意味を与えていた。ハンス・リヒターは,アルプがすでに1910年代のコラージュ制作に偶然の作用をとりこんでいたと語っており,彼がチューリヒ・ダダ時代に1、リスタン・ツァラらとの交友のなかで偶然という概念に注目したことは十分に考えうるが,彼は「偶然の法則」に大きな意味を見出し,作品の題名にもこの語を用いるようになるのは1930年代初頭のことである。この「法則」のもとに生まれた作品は,自分が過去に制作したデッサンや版画をちぎり別の紙に配置を変えて貼りつけるコラージュと,一組の構成要素(ソラマメ状の形をした数個の木片)をもちいて配置の変化により複数の作品とする『コンステラション』と命名された一連の木製レリーフである。これらの作品から,彼のいう偶然の法則は無限の可能性を秘めた形態の配置に関わるものであると考えられる。しかしそれは混沌や無秩序を意味するものではない。作品の構造は作家が意識的に決定するものではなく,作家の意識を排除することによって形態自身がみずからの運動と生成の法則に応じて選択するものであり,そこにはおのずと一種の秩序が生まれる,と彼は考えていた。この点にアルプと他の作家との偶然に対する考え方の最も大きな相違がある。モンドリアンらの抽象の作家が作品の題名とした「コンポジション」ではなく,「コンステラション」という語を用いるものも,こうした考え方に基いている。生誕百年にあたる1986年以後,アルプに関する研究はいちじるしく進展している。欧米各地で彼の回顧展や妻ゾフィー・トイベルとの二人展が開かれ,アルプのモノグラフも数種刊行された。今回の助成金はこれらの展覧会の見学や文献資料の入手に利用させて頂いた。今後もさらに上記の課題のそれぞれについて考察を重ね,試論を発表していきたいと考えている。314
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